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グラサンした【れたす鳥】が生まれて数十年・・・。ごひいきに!
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『思いやり』と『愛情』が、毒舌や辛口の素だ! |
今日のお題 |
悩む |
たいした違いもないのに、選択(決定)ができないでいる、ということ、 (A)会社をずる休みして、それがバレて怒られるか、 (B)会社に行って、仕事に失敗して怒られるか どちらにするか選べない状況、など。 |
<解説> |
悩むということは、だいたいは【選択に迷う】ということである。 なぜ迷い悩むかというと、選択肢に決定的な優劣が見つけられないからである。 そこで選択を手助けする方法として、クジや占い(※姓名判断など)があるのだが、 どちらも、 『自分の望む結果が示されるまで、何度も選択しなおす』 ためにある。 どういう選択をしても(しなくても)、 「あのとき…違う選択していれば、こんなことにはなっていなかったはず…」 と思う経験が、誰にでもあるだろう。 しかしよく考えてほしい。 そういう考えは、 「正しい選択が、あった」 という根拠のない妄念からきているはず。 そもそも選択肢のどれもが『はずれ』なのかもしれないでしょう? 全てがもともとハズレならば、もはや人生の選択に迷いも悔いもなし! 爽やかな風が、心の中を吹きわたります。 えっ…。 「確かに自分の人生にはハズレしかないとしても、どれがよりマシなハズレか?、と迷う」 って? 往生際が悪いなぁ…。 ハズレは、ハズレです。 |
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『思いやり』と『愛情』が、毒舌や辛口の素だ! |
今日のお題 |
小人閑居して… |
「ああ~!自分のための時間が欲しい!」 と、いつもいつも思っているはず。 でもそれが実現したとき、こうならない自信があなたにある? |
<解説> |
皆さん知っての通り、 『小人閑居して不善をなす』 の意味は、 『つまらない人間は、時間を持て余すと、ろくなことをしない』 ということ。 子供のころ、この言葉を知り、 「もともとの小人(つまらぬ人)が忙しいというなら、ろくでもないことをやり続けているということだろうから、彼らがヒマなほうが世に害がないのでは?」 と思ったが、そういう素直な疑問にたいして、人々は、 【いちがい(あまのじゃく)】 と非難する傾向にあるのは残念である。 さて、 『人は何か意味のあることをするために生まれてきた。そのために日々行動(努力)をすべきである』 などと、人生(生命)を目的論的に語る人々がある。 が、そんな考え方では、 『何をすることに価値があるか?』 という人間の勝手な思い込みが問題になり、収拾がつかなくなる。 そして、実際に人間界は、そうなっている。 この宇宙や人生に、(与えられた)目的(価値)がアプリオリ(先天的)にはないから、目的や価値基準など何でもいいということになってしまうわけである。 『小人閑居して不善をなす』 の逆は、 『大人(たいじん=立派な人)多忙にて、善をなさず』 である。 人はヒマでも忙しくても、つまらぬ人でも立派な人でも、善いことは決してしないのである。 |
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『思いやり』と『愛情』が、毒舌や辛口の素だ! |
今日のお題 |
人の欠点を熱心に記録する (前半) |
自分の欠点を忘れるための有力な方法。 一種の心理セラピー手法。 |
<解説> |
実はのところ、人間というものは、他人の欠点などを攻撃することはない。 なぜなら、他人に欠点があるということは、その人よりも自分のほうが『相対的にステキ』だということで、優越感に浸っていればいいだけだからである。 ところが、人間というものは、なぜか人の欠点に厳しいときがある。 そういうときは、だいたい、 『相手のその欠点が自分のイヤな部分にそっくり』 ということを、無意識に理解しているかららしい。 そう、 「気の毒に…」 と思えず、どうにも鼻につく他人の欠点や言動は、意識下に押し込んで忘れていたい、自分自身の欠点なのである。 だから、そういうものを見ると気に障るし、攻撃的になる。 ヘイトスピーチとか、いじめとかを熱心に行うエネルギーは、他人に向けられているようだが、実は自分自身に向けられている。 そういう人は自分が嫌いで自分を攻撃したいのだが、自分を客観的に見る能力も、自分を批判する強さもないため、ほぼ安全な相手に対して、多数で攻撃をする。 見てて、わかるでしょ? (後半に続く) |
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『思いやり』と『愛情』が、毒舌や辛口の素だ! |
今日のお題 |
人の欠点を熱心に記録する (後半) |
自分の欠点を忘れるための有力な方法。 一種の心理セラピー手法。 |
<解説> |
(前半からの続き) 人間は、自分を好きでないと生きにくい。 だから、自分を攻撃できなくて、 『いやらしい自分を投影した相手を攻撃』 する。 人の欠点に対して、必要以上に厳しかったり、人をむやみに攻撃する人は、自分自身を大嫌いな人。 イヤな他人なら、引っ越しでもして会わないようにできるけど、自分自身とは毎日毎時、顔を合わせて生きるしかない。 いつもいつも、【イヤな自分という他者】といっしょにいると、精神を病むので、それは意識の底に押しつぶして隠す。 このあたりは、いわゆる精神分析や心理学では、『当たり前』のこと。 潜在意識の底に沈めていても、自分自身のことだから、自分のダークな面は、誰よりも自分が知っている。 生まれたときから24時間体制で、自分の欠点を熱心に記憶してきたからね。 人の欠点がすごく気になるとき、それを攻撃したくてムズムズしてしまうときは、それこそ自分が意識の下に追いやっている自分のいやらしい部分だ。 そう思ったほうがよい。 あっ、もちろん、 ダークな人やその行為は、自分自身の投影であっても、必要であれば糾弾すべき。 要するに、そのとき、 「わたしは、天使だから悪魔をやっつける」 などと、思いあがってるんじゃないよ! ということ。 |
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『思いやり』と『愛情』が、毒舌や辛口の素だ! |
今日のお題 |
君が頼りだ |
「おまえにやらせてみるが、失敗したら、おまえの責任だぞ。 成功したら、良い指示を出し、おまえを見込んだオレの手柄なんだけどさ」 という意味の激励っぽい罠(わな)。 |
<解説> |
これに類似する言い回しは、いろいろある。 「君の能力を信じているぞ」 とか、 「君ならできる(君しかできない)」 「君の意見が欲しいんだ」 とか。 どれもこれも、言われたら迷惑なことである。 「そんなに信じてくれるんなら、オレを昇進させて、あんたが降級してオレの部下になればいいじゃん」 と、突っ込みを入れるべきだろう。 あるいは…。 あなたが自分の能力のレベルをしっかり把握できている人なら、次のような反応になるだろう。 「こいつったら何を言ってるんだ? そもそも、お前も含めて、この会社に有能な人間がいるかよ。 無能なオレにそんな期待をするなんて、どうかしてるぜ。 自分が無能だから、自分の部下の無能さも把握できないのかよぉ。 あ、そうか。だからこの会社は伸びないんだな。この会社には先がないな。もう辞めるか」 とはいえ、こういうことに気づくなら、会社というルーチンワークには不向きでも、基本的な能力はありそうだけど…。 |
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『思いやり』と『愛情』が、毒舌や辛口の素だ! |
今日のお題 |
失敗した… |
いつものこと。日常茶飯事。 能力に見合った結果。失敗は失敗のもと |
<解説> |
【失敗】ということをテーマに書くときは、常に有名すぎる中国のことわざ、 『人間万事塞翁が馬』 というのを念頭に置かねばなるまい。 この言葉の意味は、 「目先の幸・不幸(運・不運)に、いちいちとらわれてもしかたない」 ということだが、落とし穴もある。 ギャンブルで負け続けたときは、 「そうだ。いつかでっかいのを当てて、全部取り戻して、お金持ちになるはず(…かも)」 という妄想の支柱となる。 容姿端麗・頭脳明晰に生まれ、事業で大成功し、美形モデルを配偶者にし、世界のVIPとなっても、 「事故か、病気、誰かの陰謀ですべてを失うかもしれない」 と不安神経症になることもある。(らしい) 悪いほうは実感でわかるが、そこまで素晴らしすぎる人生には縁がないので、「らしい」としか書けないのが、とても残念だ。 (後半へ) |
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『思いやり』と『愛情』が、毒舌や辛口の素だ! |
今日のお題 |
失敗した… |
いつものこと。日常茶飯事。 能力に見合った結果。失敗は失敗のもと |
<解説> |
(前半からの続き) そもそも、 「何とか、それなりに生きてれば成功」 と考えるのと、 「一定のステータスを得ない人生は失敗」 と考えるのでは、もはや異次元世界である。 多くの例外があるのを実際に知っているが、私が生きてきてわかったのは、 『成功するには冷酷さ(無意識の他者に対する無関心)が必要らしい』 ということである。 経営者として成功するには、雇用している人間や商売の相手の人間ことを、いちいち気にしていては何もできない。 個人の才覚で作品を創作するような職業は、自分の作品が、どういうふうに悪いように人に影響を与えるか、を感じていては表現が限定されすぎてしまう。 スポーツなど勝ち負けがあるのものは、相手のことを考えていたら勝てない。 人生が失敗続きの人は、(まあ私もそっちだろうし)、 「そうなんだ。わたしは善人だからなぁ」 という、(たぶん根拠の薄い)開き直りで生きていきましょう。 |
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