人間の性格などを大雑把に分類することに、どのくらい意味があるのかは常に考慮しておかねばならない。
言うまでもなく、一人の人間の『心』は様々な要素で成り立っていて、相手や状況に応じて(適応して、あるいは不適応して)、いろいろな面が出てくるからである。
という前提で、性格として『楽観的』なのと『悲観的』なのとでは、どちらが良いのだろう?
「誰にとって良いのだ?」
と、つっこんだあなたは素晴らしい。
どこにポイントを置いて話を進めていくかによって、(たいがいインチキな)結論の意味が全く違ってくるからである。
有能な?詐欺師は、そういうポイントずらしが先天的にうまいのだが、経験を積んで、より巧妙になる…らしい。
私は詐欺師ではなく、詐欺師に騙されるほうの子羊なので、悪人のことはよくわからないが…。
楽天的な人間は、
「どうにかなるさ」
と思い、
悲観的な人間は、
「もうだめだ」
と思う。
この両極端の両者に共通しているのは、
『だから、もう何もしない』
ということである。
普通の人は、なんとかしようと色々やってみる。
もちろん、どうにもならないときも多いが、努力する。
残念なことだが、この生真面目な普通の人が、いちばん精神的に追い詰められ、精神が崩壊する危険があるのではなかろうか。
人間、【ケ・セラ・セラ(なるようになる)】がないと壊れるから、いい加減さも必要でしょ?
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