私がデジタイズした『ファミコン版オホーツクに消ゆ』 X炎上の悲喜劇

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2025年に、ある方に”発見”された、私。

同人誌

『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』

を書き、レトロゲームイベントに参加し、

失われたゲーム開発者の立場を

少し取り戻し…。そして、

「あっ、そうだ。オホーツクも楽しかったなぁ」

と、舌足らずのX投稿で、炎上を経験。

その経緯と当時の、

デジタイズについても話しましょう。

ファミコン版オホーツクに消ゆ
私がデジタイズ担当。
まさか、40年後に、叱られるとは…。

ファミコン版オホーツクに消ゆ
私の妻も、スタッフの一員
(TSUBOI RYOKO)

この項は、
その他

40年後の、私のX投稿が炎上!

ん~、ゲーム界の浦島太郎でして…
でも、ごめんなさい! (^o^;)

これ↓が、炎上した投稿です。

この件で、いろいろX上で、
ボロカスに言われたりしました。

でも、オホーツク仲間の方に慰められ、
レトロゲーム界についての助言もいただき、
荒井さんに陳謝し、岩崎PさんにはDMで釈明し…。

そのあと気を取り直して、オフ会で
このゲームを作っていた
『百合ヶ丘探索』をする機会を得ました。

『任天堂バレーボール』移植の次の
お仕事が、『ファミコン版オホーツクに消ゆ』
のデジタイズだったのです。

そう、これも、
パックスソフトニカでの仕事です。
もちろん、フリーランスとしてです。


私は、19歳のときの大学の夏休みに、
一か月間、北海道厚岸の太田農協の
小野牧場さんで、アルバイトをしました

それは、私の一生の思い出です。

そのバイトが終わった後、知り合った先輩と
知床羅臼岳に登りました。
私の初の本格的な登山でした。

私は羅臼岳山頂から、オホーツク海を観ました。
北方4島も観ました。
爺爺岳の美しい姿が印象に残っています。

オホーツク海を観た、その8年後に、
『ファミコン版オホーツクんび消ゆ』の
開発に関わることになったのでした。

【これがプチ炎上した投稿です】
ファミコン版オホーツクに消ゆ
この投稿が炎上した理由は、私の不用意な文でした、

『・・間違いなく、私が世界で一番最初に、オホーツク・に消ゆ、のこの名場面うぃ見た!なぜなら、私がドット打ちいたから』
という文です。

これを、読んだ荒井さんが、
「私(荒井さん)が後でこの絵も直したんだから、この実際のゲーム画面絵をあなたが最初に見たわけないでしょ」
ということで、わたし、怒られました。

私は、そういうことか…、と、びっくりして、プロデューサーの岩崎さんにはDMで、荒井さんにはコメント返信で、謝罪と釈明をしました。

その内容は書きませんが、岩崎さんからは、ご丁寧な返事をいただきました。
荒井さんは、私のX上の釈明謝罪コメントに、「いいね」(もちろん、単に読みましたよ、という意味合いと理解しています)という反応をいただきました。

いつか、お二人にお会いして、直にお話しする機会があればと思っています。

プチ炎上の経緯は、こういうことです。

このときは、SNSで知り合っていた、一人の『オホーツクに消ゆ』の大ファンの方に、慰められ、アドバイスをいただき、とても助かりますた。
Tさん、本当に、ありがとうございました。

さて、ドット絵作成方法ですが、

①私は荒井さんの原画をいただくと、まずそれに半透明な方眼紙をかぶせて、元の絵に合わせた点を塗りました、もちろん、すべての絵をそうしました

②次に、ファミコンのゲーム画面に合わせて作っていた、パソコン(あるいはファミコン本体)のドッド絵作成ソフトで、方眼紙のドットを画面に移していきました。
ファミコンのドットは粗いですから、この作業はセンスが問われます。
う~ん。
私はデジタイズが初めてでしたので、どうにも原画の再現が下手だったので、申し訳ないことに、荒井先生に後々修正していただくことになったのです。
原画の色とファミコンで一番近い色を選んで、デジタイズしたつもりでしたが、そういう色合いも、うまく再現できていなかったようです。

私はそのようにして、出来が悪かったとしても、私自身がドット打ちしましたし、それは現場のアスキーの担当者さんに確認していただいていました。

”そういう意味で”、
「私が世界で初めて(ファミコン上で)、この名場面を観た」
のは、嘘ではないのです。
ただ、私がドット打ちしたものは修正されたり、差し替えられたりしましたので、私のXでの投稿文は、『正しくない』ということになります。

そのあたりを、Xの投稿で正しくきちんと書けなかったことは私のミスであり、それを読まれた荒井さんが怒られるのは、よくわかります。
この場でも、もう一度陳謝しておきたいと思います。

申し訳ありませんでした

それにしても…。
私は、パックスソフトニカの不正行為に巻き込まれ、脅迫を受け、お金も権利も失い、当時のことを思い出したくないがために、
『MSXバレーボール(アタックフォー)』・・・原作ゲーム
『任天堂バレーボール』
『ファミコン版オホーツクに消ゆ』
『任天堂アイスホッケー』
等のゲームをすべて捨てました。
まったく馬鹿げている人生ですが、私は、昨年(2025年)になるまで、自分が開発に大きく関与したゲームで遊んだことはなく、ネットなどでもゲーム画面を見たことがありませんでした

まったくもって、変な人生なのです。

言い訳と言うつもりはないのですが、そのような私の特殊な体験があったことで、私のXでの炎上騒ぎがあった、ともいえるのです。
ふぅ~。


私と北海道との接点
19歳の時、大学の試験をサボって、
一ケ月間の酪農場でのアルバイト

そして、知床羅臼岳登山で、
オホーツク海を始めた観る


【知床羅臼岳】



【知床羅臼岳からのオホーツク海】


【お世話になった『小野牧場』の次女さんと愛犬】



【毎日作業した牧場】




本谷浩明(HONTANI hiroaki)
【注】他言語に翻訳されたとき、"MOTOYA" は間違いです。



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2026年03月15日