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1986年に、2つのバレーボールゲームが誕生!
移植版の『任天堂バレーボール』は 世界で何百万本も売れました。
そのバレーボールゲームの正しい歴史を 創作者で、宮本さんとともに 移植ディレクターを務めた私が、
長く隠されてきた闇の深さに負けないよう、 楽しく、覚悟を持って、お伝えします。
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まず、重要な問題提起から 【正しくない謎の表記】 |
あまりに酷い嘘であるほど、それを平気で続けると 世間の人は、それを疑わない。 普通は、そんなことを平気でできるとは とても思えないからである。
これから、『普通ではない』お話をいたします。 |
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これは、正しくありません!
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【移植プログラム担当者の名前】 だけが表示されています。
『 創作者に成りすましていたのか… 』
2025年に、これを初めて見た私は絶句しました。
いやいや…、これはダメでしょ。
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それにしても、これ… コンプライアンスとして、大丈夫なのだろうか?
私、心から、こわいです。
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橋下氏は、創作者ではありません
(彼は私の監修指導下の移植担当者です)
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1 |
橋下氏は、バレーボールをゲームにする仕様を自分で考えたことはなく、その基本構造を考案したこともありません。 そもそも橋下氏は、バレーボールに関心も知識もありませんででした。 バレーボール大好き人間の私が持ち込んだ、原作の『MSXバレーボール(販売名:アタックフォー)』に、橋下氏は興味を示しませんでした。
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2 |
彼の本やインタビューで、「自分(橋下氏)が創った」かのように騙っているのは、創作者に成りすましたため の後付けの『虚構』です。 |
3 |
橋下氏は、私(本谷)とパックスソフトニカの話し合いで、移植担当者となり、私の創った『MSXアタックフォー』をもとに、原作者の私からゲーム構造説明を受け、完成までずっと監修を受けて、ファミコンへの移植プログラムを作った人です。
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4 |
移植の功績はありますし、優れたプログラマーですが、橋下氏は創作者ではありません。 |
5 |
任天堂ブランドでの開発になったあとも、任天堂バレーボールの仕様としては、原作者の私と宮本氏がディレクターとして話して、それを橋下氏に伝えるという方法でした。 橋下氏の本やインタビューに、宮本氏とのやり取りがないのは、そのためです。 |
6 |
その後、立本氏とともに『小切手事件』で、原作権利者の私(本谷)を裏切ります。 |
7 |
立本氏は、任天堂バレーボールとその関連の収入を勝手に流用していたことを追及されないように、役員の田村氏を追い落とし、困窮していた橋下氏をお金で抱き込みました。 |
8 |
橋下氏は、上記7のため困窮していたので、立本氏からの優遇(お金、マンションetc.)を受け、立本氏の策略(契約書を出さない)に役員として協力し、棚ぼた式に、『任天堂バレーボール』の創作者に成りすましました。 |
9 |
橋下氏の本やインタビューに、私のことや私がフリーランスとして協力在籍していた頃のパックスソフトニカの活動のことをほとんど書いていないのは、『後ろめたくて書けないから』です。 |
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反論反証は、お受けして公開します。 どしどしお送りください。 | |
1988年の『小切手事件』を契機に パックスソフトニカ (その後継) が、 創作者やその諸権利に関する虚の説明を、 任天堂さんにしてきたため、
ゲーム画面に正しくない人名表示がされた と、私は考えています。
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2025年に、私はこの虚構を知りましたので、 第一当事者として 私が事実を語ることにしました。
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皆様、ご支援をよろしくお願いいたします。 |
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この【1986年のバレーボールゲーム】 は |
『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』 の内容を写真や画像で、わかりやすく明快に 解説し証明するためのコンテンツです。
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ここまでの、まとめ |
1 |
パックスソフトニカ(それを引き継いだ会社あるいは個人)が、『任天堂バレーボール』に関する権利を不正に行使してきた。 |
2 |
私の認可を受けて、私の原作ゲームをもとに、私の指導で移植をしたプログラマーが、長年、『任天堂バレーボール』の創作者に成りすましてきた。 |
3 |
原作者であり権利者であり、ファミコン版移植開発のディレクターである私(本谷)は、2025年初めころに、このことを明確に知った。 |
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そして不正のはじまりは、『小切手事件』 |
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『任天堂バレーボール』の原作が、これです。 |
私はパックスソフトニカで、 ファミコン版への移植の指導監修と並行して、 この原作ゲームの最終調整もしていました。 |

【原作・MSXバレーボール】
開発者(単独)『本谷浩明』
販売名『アタックフォー』
委託販売先『パックスソフトニカ』
1986年
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A |
『任天堂バレーボール』の 創作権利者が私であること を証明するポイント |
① |
原作『MSXバレーボール(アタックフォー)』の開発の経緯 について。 |
② |
『任天堂バレーボール』への移植の経緯 について。 |
③ |
①+② フリーランスの私とパックスソフトニカは対等で親密な協力関係にあったこと |
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この図は、全体像がわかっている当事者でなければ、
よく理解できないと思います。
じっくり、説明させていただきますので、
ご関心ある方は、お付き合いください、 |
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B |
(親会社)パックスエレクトロニカ および パックスソフトニカ (その後継会社or個人)が何をしたか の説明ポイント |
④ |
親会社パックスエレクトロニカの暗躍。 立本氏が、私に無断で任天堂さんと契約をし、入ってきたお金を勝手に流用(背任や横領の可能性?)。
⇒ 私も橋下氏も、それを知っていたのだが…。 |
⑤ |
『小切手事件』(原作権利者の私を排除) お金を流用したことを私に追及され、会社の危機を助けた私を裏切り脅すという行為に至った。
⇒ パックスソフトニカ(エレクトロニカによる、任天堂さんへの虚偽報告(詐欺の可能性?)。
↓ 私のゲーム開発者人生・キャリアの崩壊。体調不良、消えぬトラウマ。 |
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⑥ |
不正な権利行使と創作者の隠蔽と成りすましは、2025年現在も継続中。 |
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D |
2025年ゲーム界一時復帰後のこと |
⑧ |
ドキュメンタリー実名同人誌『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』執筆のこと |
⑨ |
同人誌を読んだ橋下氏から私に来たメール ⇒ 謝罪?と立本氏が全てを仕切った、との示唆? |
⑩ |
復帰したレトロゲーム界での浦島太郎的な笑える、笑えない経験のこと ⇒ レトロゲームイベント参加 ⇒『ファミコン版オホーツクに消ゆ』をめぐる、Xでの炎上を説明
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■ 2つのバレーボールゲーム情報 ■ |
任天堂バレーボールの原作は 【MSXアタックフォー】 |
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(開発者:本谷浩明) (委託販売先:パックスソフトニカ) |

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そして、その移植ゲームが ↓
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任天堂バレーボール (原作者・移植許諾&ディレクター:本谷浩明) (移植作業請負:パックスソフトニカ)
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2つのバレーボールゲーム 発売日と関連会社 |
MSXアタックフォー |
任天堂バレーボールの直接の原作ゲーム |
発売日 |
1986年春 |
開発者 |
本谷浩明(単独開発、フリーランス) |
委託発売会社 |
パックスソフトニカ |
権利者 |
本谷浩明 |
任天堂バレーボール |
本谷浩明の許諾で移植された |
発売日 |
1986年7月21日 |
移植請負開発者 |
パックスソフトニカ (← 本谷浩明のゲーム構造指導による) |
移植連携会社 |
任天堂(仕様技術指導、ゲーム演出指導) |
発売会社 |
任天堂 |
ゲーム構造考案者 原作権利者 移植ディレクター |
本谷浩明 作業を行った移植プログラムについては、パックスソフトニカにも権利があるが、それ以外には、本谷が何らかの権利をパックスソフトニカに委譲した契約などは一切存在しない。 |
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(私の住居の玄関)
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『1986年のバレーボールゲーム』 執筆ポイント |
ゲーム界によくある 『誰に権利があるか?』ではなく、 権利が私にあることは、明白なのです。
 『明白』とはいえ、私には それをきちんと証明する責務があります。
そのため主要著作が、以下の2つです。
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『1986年のバレーボールゲーム』 (このコンテンツ…連載中) (写真や図式などで、事実関係解説証明) ⇒ 当サイトに連載中、 note化も予定
『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』 (既刊) (実名ドキュメンタリー:販売終了) ⇒ 今後適当な期間の後 概要版(短縮版)を当サイト掲載&無料note化予定
※内容が短縮版であり、今すぐ note掲載(あるいはここに掲載)しないのは、最近まで、お金を出して買っていただいた方が多数おられるからです。
※世界中で売れたゲームですので、両書とも要約英語デジタル版も出せればと思っています。
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【注】
販売終了した同人誌『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』は登場人物を実名で書き、Xにも実名で投稿しています。
この『1986年のバレーボールゲーム』では、場合により、T 氏、H 氏とイニシャルにしていますが、それは冷静に記録として書くためです。
ある部分は、それを実名で書いていると、パックスソフトニカでの当時の手痛い裏切りを思い出し、私が抱えている長年のトラウマもあり、あのとき絶望の淵に追い込まれた苦渋の記憶によって、私の感情が今でもどんよりします。
そんなことでは、冷静な記録が難しくなります。
イニシャルにすることで、客観的記述ができるようにとの考えです。 |

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解説(証明)する主要ポイント |
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【創作者隠し】①② |
① |
私とパックソフトニカは、何年間も対等で良好な協力関係があったこと。 なぜ、それが隠蔽されてきたのか? ↓ H 氏が本やインタビューで、私のことや私が協力していた時期のパックスソフトニカのことを書いていない(書けない)不自然さは、なぜなのか? ↓ 長年、創作者に成りすましているので、事実は書けない。
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② |
私の『MSXバレーボール(アタックフォー)』が、任天堂バレーボールの直接の移植元の原作作品であること。そして私が移植指導監修者であること。 ↓ H 氏の 「ちょっと関係してた人(私)がバレーボールゲームを持ってきただけで、自分(H氏)一人で開発した」 かのような表現は、事実隠し。 ↓ 私の存在と原作ゲームがなければ、そもそも、任天堂バレーボールは存在していない。
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【権利者隠し】 ③ |
③ |
任天堂バレーボールに関する私の権利と名誉が、現在も私にあること。 ↓ パックスソフトニカ(エレクトロニカ)は、私に無断で任天堂さんと契約し、その契約書を私に見せず、私との契約書も渡さず、入ってきたお金は勝手に使い、 「契約書はないだろ?だから、本谷には権利がない。ないんだから騒いでも無駄」 「任天堂に訴えれば、お前を潰すし、この後、お前ら(私、妻、田村氏)に何があるかわからないぞ」 などと、私をダークに脅したのです。 (-_-)
 お金のため、もはや、常識が通じない会社になってしまっていた…。
【2025年のターニングポイント】 『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を執筆しているとき、私はふと気づいた。
「あっ!」
↓ 『契約書がないと言うのなら』、 上記の①②が証明できれば(もちろん、できるので)、それならば逆に、
パックスソフトニカは、私との契約書もなしに、勝手に不正移植をし、不正に任天堂さんと契約した
ことになる。(事実、そうである)
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【不正を止められなかった後悔】 ④ |
④ |
そして、皆さんが不思議に思われることの一つが、
なぜ、私は当時、身を引いたのか? なぜ、私は、38年後に、これを書いているのか?
ということ。 ↓ これに関しては、あえて『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』では触れていない。 当時から、とても書きにくい問題を含んでいる部分があった。 書かずにすむならば、私も書きたくはないけれど…。 私が気を使って、その部分を書かないことが、一般の方には、この問題がわかりにくい要因となっている。
でも、場合によっては『それを』書くことになるでしょう。
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<解説あるいは証明の具体的ポイント> |
1 |
本谷浩明が、フリーランス開発者として、4~5年間にわたり、パックスソフトニカと対等に連携(諸権利は本谷が保持)してゲームを作っていた事実。 |
2 |
バレーボールゲームは、本谷浩明が『MSXバレーボール』で初めてゲーム化し、それをパックスソフトニカに販売委託したこと。 |
3 |
ファミコン版への移植は、パックスソフトニカの倒産危機を救うために、本谷が許可し、パックスソフトニカに移植開発を依頼したこと。(本谷が主体) |
4 |
ファミコンへの移植は、パックスソフトニカの担当者H氏が、バレーボールについての知識も関心もなかったため、本谷が全面的にゲーム構造の説明をし、開発の指導監修をしたこと。 |
5 |
その後、任天堂版となった後も、本谷が宮本氏と連携して、ディレクターであったこと。 |
6 |
フリーランスである私の知らぬ事情で、パックスソフトニカの経営者が変わり、私に相談もなく任天堂さんと契約がされ、そこで得られたお金をパックスソフトニカ(エレクトロニカ?)が勝手に流用したこと。 |
7 |
任天堂さんと業務契約をするために、私には契約書もお金も渡さないが、私を対任天堂さんへの『顔』としてパックスソフトニカにとどめ、部長待遇とし懐柔しようとしていたが、私が契約の問題を明確にするように強く求めると、無法地帯へ。 ⇒【小切手事件】 |
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8 |
私はなぜ38年間沈黙していたのか? そして、なぜ話し始めたのか? |
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【2025年以降のこと】 |
9 |
任天堂ゲーム画面にある『T.HASHISHITA』という不可解な表記を知り、愕然とする。 |
10 |
私の書いた『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を読んで、橋下氏が私に送ってきた不可解なメールのこと。
⇒ 私に陳謝しつつ「何も知りません(すべて立本氏がやったこと)」との弁明。 |
11 |
私が去って以降のパックスソフトニカと、それを引き継いだ会社や個人のこと。 (複数の関係者からの情報提供あり) ※これは、『任天堂バレーボール』を巡る問題と直に関係ありませんので、今のところ書く気はありませんが、『パックスソフトニカの体質』を語るために必要となるかもしれません。 |
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【参考】
(注) 『TAMATAMA』(ボーステックのコンテスト作品)は 私の開発者としての歩みとして入っています。
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【ご協力・ご支援のお願い】 |
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ご意見、ご質問、取材、YouTube出演などは、オープンに受け付けます。 どしどし、メール、DMをください。
できる限り、お答えします。 私の知らない事実などで、私にお答えができないときは、一緒に考えましょう。 また、各方面に問い合わせて調べて、その疑問を解きたいと思います。
それらのやりとりは、基本的に『公開(このHP、X、note 等)』いたします。 問い合わせされる方の側で公開不可希望の場合は、その旨を書き添えて、ご連絡ください。
ゲーム史における『バレーボールゲーム』の位置づけや、世界的に大ヒットした『任天堂バレーボール』の歴史を正すのための活動に関心をお寄せください。
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(注)
このサイトにかかれる内容は、最終稿になるまで、その都度、わかりやすさのため書き直しますが、基本内容は変わりません。基本内容とは既刊の『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』で述べられているものです。最終稿は、note
あるいは、デジタルブックなどにできればと考えています。
(注)
登場する社名の株式会社や有限会社の表記は略しています。
また、パックスソフトニカとパックスエレクトロニカが経営体として一体化している部分が多く、区別して語る意味がない場合もあります。
大雑把には、パックスエレクトロニカが親会社として契約や資金を握り、パックスソフトニカは『開発部隊』ということになるでしょう。 |