坪井氏の受難(とばっちり)
「今日で辞めてもらう!」
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テレビで任天堂ゲームやゲーム機関連の宣伝や、バレーボール中継があると、我が家は、どんよりした空気になります。 最初に、サブストーリ的な、そのお話をしておきましょう。
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坪井氏は、パックスエレクトロニカ(親会社)からパックスソフトニカ(子会社)に移籍した正社員で、私の妻です。 1988年の11月に結婚しました。
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『小切手事件』で、私の権利も報酬も無視されたので、私はフリーランスで社員でもありませんし、部長ではありましたが、もうパックスソフトニカに居る理由がなくなりました。 「反撃をせねば」と考えながら、私は去りました。 |
さて、坪井氏ですが、私がパックスソフトニカを去っても、彼女は働き続けるつもりでした。
社員のみんなとは仲良くやっていましたし、4年も勤務していたので、彼女が辞める理由はありません。
任天堂バレーボールで儲かっていたパックスソフトニカは新入社員も募集し、海外社員旅行を計画していました。
坪井氏は、ともかく、その海外旅行を楽しみにしていました。 |
ある日、新しく入って仲良くなった女子社員に、
「海外旅行、楽しみだね」
と言うと、その女性社員の顔が曇り、
「坪井さんは、行けないみたいだけど…」
と。
「!!!!????」 |
その後、坪井氏は立本氏に呼ばれました。
「あんたは本谷と付き合ってるらしいな。本谷はオレの言うことを聞かなくて出て行ったんで、あんたはスパイになるかもしれない。任天堂さんの仕事のことなど、本谷にしゃべられては困るから、今日で辞めてもらう」
と。
「今日?急にそんなこと言われても困ります。それに、私と本谷は関係ないでしょ」
「関係ある」
「私は今までこの会社で何年も頑張ってきました。海外旅行をみんなと行くのを楽しみにしてるんです。どうしてもというなら、せめて旅行の後にしてください」
立本氏は、自分についてこないものには、とても冷酷になります。 「だめだ。今日でクビだ!」
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今日でクビ?
40年前とはいえ、こんなことしていいの?
坪井氏は、唇をかんで反撃をこころみました。
「…もちろん会社都合になりますよね」
「どうだろ」
「…」
その後も、嫌がらせは続き、失業保険のための書類をなかなかもらえず、何度も電話で立本氏に、
「書類をください」
と頼んで、何週間後かに、やっと送付されたそうです。(~へ~;)
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私はもうパックスソフトニカにいないので、あとで坪井氏が悔し涙を流しながら教えてくれました。
私は、あまりのばかばかしさに腹が立ち、
「俺が話をつけに行く」
と言いましたが、彼女は、
「あそこは立本さんが来てから雰囲気がおかしいし、もう辞めていい」
と諦めていました。
「そういうわけにはいかない。君は関係ないだろ」 「この後、あの人たちに何されるか、わからないから、もういいよ」 |
そもそも潰れかけていたパックスソフトニカが任天堂バレーボールで潤っているのは、自分で言うのもなんですし、100%とは言わないまでも、バレーボールゲームを独創して作り、パックスソフトニカに持ち込んだ私のお陰ですから、う~ん、と。
私が宮本さんとディレクターもしたのだけど、その私を裏切り、関係ない坪井氏を即日解雇…。 もはや、無茶苦茶でした。 |
坪井氏(妻)は穏やかな性格ですが、40年近く経った今でも、この話を思い出すと、
「あんなことしていいの」
と憤っています。
このことは、私より記憶力の良い彼女は、細かなことまで…その時の立本氏の薄ら笑いとか…覚えていて、私が本を書くと決まった時に、
「このことは絶対書いて!」
と、昨日のことにように気持ちが悪くなるようです。 |
そういうことで、我が家では、2024年末に私が、同人誌『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を執筆し、レトロゲームイベントに参加したり、YouTube出演などして、私の心が多少とも解放されるまで、『任天堂バレーボール』『任天堂』『バレーボール』『テレビゲーム』『パックスソフトニカ関連』は、全てタブーでした。
そのことを思い出すと、家庭が暗くなるからです。 |
本を書いて、トークイベントやYouTubeで、当時のことを語り、Xなどにも投稿して、世間に当時の闇を伝えることができて、私の心も少しばかりほぐれ、バレーボールの試合を積極的に観たり、ゲームの話も家でするようになりました。
ふぅ~やれやれ。 人生の中での、失われた40年ですよ~。(ー_ー) |