<1988年>『バレーボールゲーム小切手事件』

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嘘と裏切り

パックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)の

『バレーボールゲーム小切手事件』

この項は、
(B)-④ 
親会社『パックスエレクトロニカ』の闇
の解説
任天堂バレーボールの収益を
勝手に流用して私に払えなくなった
パックスソフニカは私の懐柔に失敗し…。
バレーボールゲーム小切手事件
同人誌
『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』
5章を紹介します

1600円という価格で私の本を購入された方が
多数おられるので、近々の無料全面公開では、
「私は買ったのに…」
と思われるでしょう。

とはいえ、
すでにこの同人誌は販売されていません。
(販売終了の経緯は、連載の中で書きます)
もちろん、この本の内容は、
まだまだ広くお伝えしたいのです。

この同人誌の販売の半数以上は、
私がイベントで、直に手売りしました。
ですので、買われた方のお気持ちも考慮し、
HPや note での全面公開は、少し後にします。

ここでは、5章『小切手事件』を公開します
”不穏な雰囲気”は伝わるかと思います。

Retasu's House れたすはうす

【第5章】小切手事件

■小切手事件に至る道

『任天堂アイスホッケー』(1988年1月21日発売)の開発が終わると、私のソフトニカでの一連の作業は一区切りついた形になっていた。
原作のMSXバレーボールゲームをファミコンに移植するためと、同時にファミコン開発技術習得のために、私は一時的に契約社員のような立場で働いていたのだが、そろそろフリーランスに戻りたいと考えていた。
『任天堂バレーボール』の発売(1986年7月21日)からは、すでに1年半くらいは経っていただろうか。

そういうある日、ひょっこりパックスソフトニカにやって来た浦山氏は、
「会社の空気、変になってるなぁ」
と言いながら、私の前に座った。
「大丈夫なの、この会社?」
「さあ…」
数カ月から半年後に、私と田村氏と中島氏は、クビになる。浦山氏は、そういう雰囲気を感じていたようだ。

「で、本谷さんは大丈夫なの?」
「俺?俺は大丈夫ですよ。もともとフリーランスなんだし、もうファミコン開発も覚えたし、ここにいなくても…」
「そういうことじゃなくて、バレーボールゲームのことだよ」
「ああ、それは、ちょっと変ですけど」
「ちょっとじゃないだろ」

そう、確かに私は不安を感じていたのだ。

『任天堂バレーボール』が発売されて1年以上経つのに、原作者で移植版ディレクターである私に売り上げや原作料などについて何の報告もなかった。
何度か立本氏に話してみたが、その都度ノラリクラリと、ごまかされていたのだ。

今思えば嘘とわかるのだが、任天堂から報告がないとか、初めにもらったお金はエレクトロニカのほうの負債にあてたから、今はソフトニカには金がない、とか言い訳をされていたのである。

「この会社が景気がいいのは、本谷さんのバレーボールのおかげだろ」
「まあそうです。橋下さんがいい感じで移植してくれたし。そもそも浦山さんが任天堂に持ち込んで話を決めてくれたからだけど」
浦山氏は、眉を寄せて言った。
「そこがなぁ、おかしなことになってるぞ」
「おかしなこと?

「俺はこの前、立本さんと話したけど、なんか変なこと言ってたよ。本谷は関係ないとか」
「!」
私が関係ない?

私は思わぬ言葉に驚いたが、思わず笑ってしまった。あまりにバカバカしい発言だからだ。浦山氏も私と一緒に笑ってくれたが、また真顔を戻って、
「いや、そこは確かめたほうがいいぞ」
と強く言った。

「俺のパックスソフトニカとの契約は、全て私が著作権を保持してて、ソフトニカは販売するだけです。私が任天堂さんとともにアドバイスや監修もしたんだし、移植の原作だから原作料がもらえることは、移植を決めた最初から田村さんや橋下さんと確認済みですもん」
「いま会社を握ってるのは誰だ?バレーボールが発売されて1年。移植開発費ももう会社には入ってるんだろ。そのお金は、どこにいってる?」

実は私は、この時期になって、やっと自分の甘さを感じ始めていた。
イマージュソフト時代から、立本氏が現れるまでのパックスソフトニカ時代は、契約のことなど気にしたこともなかった。田村氏を信用していればいいだけだった。
が、今は?

「パックスエレクトロニカの負債をバレーボールの儲けで埋めているから、いま金はない。もう少し待て。悪いようにはしないから。部長にもしたし、給料もやってるだろ」
という立本氏の言葉をとりあえず信じて、目の前の任天堂さんとの仕事の楽しさで自分をごまかしていたのだが、浦山氏に指摘されてみれば確かにおかしい。

そもそもフリーランスの私には、ソフトニカの社内事情などは関係がない。
もちろん田村氏との友誼があり、これまでの協力関係があるから、ソフトニカの事情には配慮してきた。しかし、いつの間にかソフトニカの主になってしまった立本氏と、そういう人間関係はないのである。

私はバレーボール移植の後、アイスホッケーなどの仕事が入ってきたため、たまたま契約社員を続けているが、フリーランスなのである。

私が不安な顔になったのを見て、浦山氏は続けた。
「この会社は、こんな雰囲気だし、もうだめだろう。おれは辞める」
浦山氏はそもそも社員ではないから、縁を切るということだろう。
「だからこの前、立本さんと話して、金をもらったよ」
と、浦山氏は、ニヤッと笑った。
「えっ?」
「俺が任天堂さんに、おまえのゲームを持ってって売り込んだんだから、俺にはすごい功績があるだろ?」
「ええ、もちろん。全然営業がうまくいかなかったのに、浦山さんが動いたからですもん」
「だが、オレは社員じゃないから、そのことで一銭ももらってない」
「えっ、そうなんですか!」
私は、驚いた。

浦山氏は、フリーランスの営業という得体の知れない身分の人ではあるけれど、出来高払いみたいに報酬を得ていたと私は思っていたのだ。
現在の整備されたゲーム界の会社組織では、そういう奇妙な立場の人間が活躍する余地はなさそうだが、当時はまだゲーム業界が新興産業であったため、そんな余地もあったのである。
私だってフリーランスなのに、私のゲームがパックスソフトニカ経由で『任天堂バレーボール』に移植され、そのため正社員でもないのにソフトニカの部長をやっていたのである。
今考えれば、ほんとうにカオス要素も残る、面白い時期だったのだ。

ソフトニカと任天堂との縁ができた時期に、立本氏はソフトニカにいなかったので、
「本谷がどうとかいう話、オレはその時のことは知らない。あいつは最近言うことを聞かなくなったから、そういうヤツに金は出さない」
と、浦山さんに言ったそうだ。

私は立本氏のこの発言の重大さに気づかずにいた。そんな話が通るわけがないとタカをくくっていたからだ。
「そんなことできないでしょ」
「ともかく、俺も同じようなフリーの立場だからな。だから俺は、功労金というか出来高払いというか…そういうお金は立本さんが出さないというから、いまのエレクトロニカやソフトニカの状況とか、立本さんのやってることをあちこちで話すと言ったら、やっと功労金をもらえたんだよ」
「…」

ふ~む…。
浦山氏は、さすがに私のように甘いフリーランスではないようだった。
『わたし、失敗しないので、やったことの報酬はちゃんともらうので!』
というところである。

浦山氏は元々がエレクトロニカの関係者で、エレクトロニカの社長とも知人友人関係なはずであり、その頃からエレクトロニカ、ソフトニカ両社内のいろんな裏事情も聞いて知っていただろうから、そういうことも立本氏への駆け引きに使ったのであろう。

「だから、もう俺はこの会社に用はないから来ないよ。もらったお金で何か新しいことをする。でもその前に本谷さんに忠告しとこうと思って、今日ここに来た」
「忠告…」
私が原作者であり、著作権を持っているという契約をしていたので安心していたのだが、このことで私は(遅すぎる)危機感を抱いた。
『任天堂バレーボール』で得た利益は、パックスソフトニカを支配した立本氏がどうにでもできる立場になっているし、立本氏は会計士(or税理士)だから、そのあたりの金銭の会計処置は得意中の得意であり、いつもそのことを私にも社内でも自慢していた。

立本氏は、エレクトロニカが持っていたソフトニカの株を取得して、ソフトニカの主として手腕を振るっていたと私は理解しているが、このあたりの事情は、私などより会社設立時からの社員(役員)であった橋下氏が知っていると思い、彼のインタビューや本を読んでみたが、そのあたりのことはわからなかった。

ただ、橋下氏のインタビュー記事で、
『(バレーボール移植の前の仕事で)、ソフトニカ(橋下氏)が“ぺんぎんくんWARS”のファミコンへの移植をしたけれど、それで得られるはずのお金が親会社(エレクトロニカ?)からもらえなくて本当に困った』
というような記述があるから、立本氏がソフトニカに来る以前から、そもそも会社間でそういう『ソフトニカのお金はエレクトロニカのお金』構造になっていたということだろうか。

私のゲームが任天堂版として移植されることが決まった時に、まだソフトニカの主導権を持っていた田村氏が、
「バレーボールに関する任天堂さんとの契約は初めてで大きなことだし、その契約はソフトニカではなくエレクトロニカがやっていて、僕にもわからなくなってるんだ」
と、言っていたのは、そういう意味だったのだろう。

『MSX版バレーボール』はそれまで通り、私とパックスソフトニカとの契約なので、私にすべての権利があり、それが任天堂版の原作だから私は『任天堂バレーボール』にも自動的に反映されるものだと考えていたが、任天堂との契約をエレクトロニカが仕切っているならば、事態は田村氏にもどうにもならないところに行っており、その契約は立本氏が握りつぶすこともできたのである。

おそらく、そのような事態に希望を失った田村氏は、そのころはもうパックスグループから離れることだけを考えていたのだと思う。

さて、浦山氏との会話に戻る。
「お金って、いくらもらったんですか?」
「2000万」
「うわっ!」
私はびっくりした。その額が浦山氏の働きに対して妥当かどうかではなく、一括で払える金額に驚いたのである。
ソフトニカにはお金あるじゃん。
なんで、私に回ってこないの?

浦山氏は続けた。
「おまえは原作者だから、この十倍はもらえるだろ。あの人がくれるんならだけど」
十倍はともかく、浦山氏がゲームを任天堂に持っていった功績が2000万円なら、私はもっともらえるだろう。原作者だし、ディレクターなのである。
それにしても、(40年前の)2000万円。ゲームバブルの初期の話とはいえ、ポイッと支払ったとは豪勢な額である。

浦山氏とは、ソフトニカを辞めた後も何度か会っているから、浦山氏が私に言った金額は間違いないと思うが、私は彼の預金通帳を見たわけではない。
彼が無意味な、あるいは嘘の金額を言う理由がないし、そのあと私が田村氏や中島氏と組んで相模原でゲームを作っていた頃に、彼は東南アジアで遊興していた。
また、私が立本氏に聞いて知っていたソフトニカの大雑把な収支から考えて、浦山氏はその金額をもらったということを私は疑ったことはない。

「本谷さん。ともかく忠告はしたぞ。ちゃんと話をしないと困ったことになるぞ」
そう言い、浦山氏は席を立った。

私は、数日悩んだ末、契約社員としてではなく、フリーランス開発者としての立場で、パックスソフトニカに正式な話し合いの申し入れをした。
「私の『任天堂バレーボール』における原作権や監修アドバイザー業務報酬について話をしたい」
と。
これが、プロローグで少し書いた『小切手事件』の場面に続くのである。


■小切手事件

その話合いに出席していたのは、パックスソフトニカの3人(田村、立本、橋下)と、そして私である。
話合いの議題は、『本谷のバレーボールゲームにおける諸権利』であり、そのことは全員がわかって座っている。

冒頭、中央に座っていた立本氏が、先制攻撃とばかり強い口調で言い放った。
「お前に何も権利はない。契約書もない。だいいち俺はそのとき(私がMSX版を持ち込んで契約した時)いなかったから、その時の経緯を俺は知らないから関係ない。それに『任天堂バレーボール』は、橋下さんが作ったんだろ」
「!!」
この人、なに言ってんの

確かに、契約書の問題は私にとって不安のタネではあった。

任天堂版への移植が決まり、すぐ契約書を作りたかったが、田村氏に、
「任天堂さんと取引したこともないし、エレクトロニカが絡んでいるから、契約のことはちょっと待ってほしい」
と延び延びになっていたら、私にとって不幸なことに立本氏がソフトニカの実権を握ったのである。実際には、親会社的なエレクトロニカを掌握していれば、ソフトニカなどどうにでもなったわけなのだが…。

これは、まずい!
私は恐ろしいほどの甘ちゃんであり、それの甘さですでに事をしくじったのだろうか?

いや、こんなにも明らかな私の権利を認めないということが、世の中にあるのだろうか? 
いやそう考えるのが、甘ちゃんなのだ…。
と、思考はグルグル回った。

それにしても、『橋下さんが作った』って、この人、いま、そう言った?
そりゃ、『作った』よ。でも『創って』はないよ。

私は、先日の浦山氏の忠告と、この日のその場の雰囲気で、立本氏がおかしなことを言うのではと警戒していたが、実際にその『おかしな話』を聞くと動揺した。
ただ、立本氏がのっけから私の話を何も聞かず、一方的な物言いをしたので私は逆に冷静になった。

「そんなおかしな話はないですよ。浦山さんが持って行ったのは私のゲームと移植途中のファミコン版です。
それが任天堂さんに気に入られたんです。
橋下さんは私のMSXですでに完成してるゲームを見て、私のアドバイスや監修で移植したんです。
私は原作者として、私のMSXバレーボールをもとにして任天堂さんと打ち合わせもしたし、私はディレクターとして『任天堂バレーボール』にかかわっているんです。私の創ったゲームが、オリジナルなんですよ
と、事実を知らないと言って突っぱねる立本氏に、私は事実と常識で反証した。

私が言わんとしていることは、ゲーム開発者なら、いやゲーム開発者でなくとも、誰でもわかることである。
自分のオリジナルゲームを創ったことがあり、移植もしたこともある人なら、なおさら心情も含めて理解できることだ。

確立された新しいゲーム性(ゲーム構造)を持つオリジナルゲームがあるから、容易に移植ができるのであり、
『世の中に未だ存在しなかったバレーボールゲームの一つの完成形をすでに私が創っていた』
から、それを真似て移植ができたのである。

たとえば、「選手を4人を6人をした」とか「コントローラーの操作が違う」などは、ゲーム性の幹の部分とは関係ない枝葉の話であり、そんな奇怪な理屈でゲーム開発者のオリジナリティを尊重しないなら、このゲーム業界は無法地帯になる

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(WEB版での追加注)
そもそも本谷がファミコン移植のディレクターなのであり、ファミコン版での変更も、原作者であり、バレーボールを知る人間として、私が主導して参画しているのである。
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そうでしょ、橋下さん?

あなた(橋下氏)はバレーボールの移植前に、『ペンギンくんWARS』を移植したでしょ?
あれが移植なら、バレーボールも移植ですよ。
私が手取り足取り、バレーボール競技について教えて、MSXバレーボールのゲーム性の要点も教えたでしょ?
と、私が心中で叫んだ声が聞こえたのか、橋下氏が口を開いた。
だがその発言は、あまりに衝撃的な発言だったので、今でもはっきり覚えている。彼はこう言ったのである。
「本谷さん、それは違うよ!」
と。

えええっ?!!!!!!
この人、何、言ってるの?
何が違うの?

私は、その橋下氏の言葉の意味が理解できなかった。
立本氏は、横でうんうんと頷き、田村氏は顔をこわばらせていた。

私はあまりに意味の分からない発言に理解が追い付かず、この目の前の男が何を言ったのか反芻するため、しばし黙った。
それを言い勝ったと勘違いしたのか、橋下氏は、『どうだ!』という顔で腕組みをした。

この言葉は私にとってまったくの不意打ちで意味も不明だったので、私は混乱した。
すると、立本氏が、
「移植移植っていうけど、結局、任天堂版は橋下さんがおまえのゲームを参考にしてプログラムを作ったんだろ
おまえは横でアドバイスしただけだろ。
契約書もないし経緯も知らないから、お前に権利などないじゃないか」
と、私に追い打ちをした。

プログラムをした人間が、そのゲームを作ったことになる?
新理論?新解釈?
ここは、ワンダーランドになったようだ…。
それも、ダークサイド・ワンダーランド!

パックスソフトニカで、『ファミコン版オホーツクに消ゆ』を開発したときのプログラマーは中島氏だったが、そうなると『ファミコン版オホーツクに消ゆ』は、堀井雄二氏ではなく、中島氏のオリジナル作品?
だって、ファミコン版独自の演出もあるから、もう別な中島氏独自の作品?

あの『ドンキーコング』や『マリオブラザーズ』は、誰がプログラミングしたのか私にはわらかないのだが、プログラムした人が、
「これは私が作った(プログラムした)ので、私のオリジナルゲームなんです」
と言うのだろうか?

私は、『不思議の国ワンダーランド』のもっと深い場所にあるダークサイドに迷い込んだ気持ちになった。
平静を保つのに必死だった。
私がなんとか平静を保てたのは、まだそこにもう1人、田村氏が座っているからだった。
イマージュソフトからの付き合いであり、私をゲーム開発者にしてくれた人であり、私がMSXバレーボールを持ち込んだ時に、「これは面白い!」と採用してくれた人であり、任天堂版になると決まった時には、「本谷さん、お金持ちになるよ」と喜んでくれた、信頼に足る人である。

私は、最後の砦の田村氏のほうを見て、
「田村さん、何とか言ってください。権利のことは田村さんと約束したじゃないですか。それに移植したら自分の作ったゲームだなんて、とんでもないことですよね」
と助けを求めた。
すると、それまで苦しそうな表情で黙りこくっていた田村氏から、これまた意外な言葉が出たのだ。この言葉も橋下氏の言葉とともに、忘れられない。
「本谷さん、ごめん」
と、田村氏は言ったのである。そして黙り込んでしまった。

ごめん?
ごめんってなに?田村さん、それなに?

田村氏は会計上のもめ事(ソフトニカのお金がエレクトロニカに流れていたことに関するもの)で、会計士でもある立本氏と対立していた。
だから、その部分の問題が絡んでいて、このとき田村氏が私に味方することができなかったと今は理解しているが、そのときはそれはわからなかった。
私は、田村氏の言葉で、遠い宇宙空間の見知らぬ巨大惑星の上に私だけが1人で座っているような感覚になってしまった。巨大惑星の重力で、空間は歪み、私の体は重力で惑星の中にめり込んでしまいそうな感覚である。

孤立無援…?。
どゆこと?

立本氏の言葉も橋下氏の言葉も、私には決定打ではなかった。
彼らの愚かな理屈には反証できると思っていたからだ。だが、田村氏のこの言葉で、私はこの場での負けを悟った。パックスソフトニカの3人が、私の権利を否定あるいは判断保留をしたのだった。

あの『桃園の誓い(バレーボールゲーム移植の誓い)』は、泥中に沈んだ。

『力を合わせてMSXバレーボールをファミコンに移植し、パックスソフトニカを救おう』
という、あの窮地の中での、田村、橋下、私(本谷)の団結は何だったのか?

私は何十年たっても、この『小切手事件』の場面が…場面というよりも、そのとき私が感じた恐ろしい理不尽が忘れられない。
思い出したくないが、ときどき思い出してしまうのだ。

もちろん、遠い昔のことなので記憶の細部は変容もするだろう。
が、あまりに理不尽が強烈すぎて、その時の空間が歪んだような感覚は忘れられない強烈な記憶なのである。

そうして、私の抵抗の道は、その段階ではすべて絶たれたのである。

もちろん、まだ私は理不尽な流れをどうにかしようと、あがこうとしていた。
でも、この場ではもう手がない。

私が沈黙すると立本氏が、
「なあ、本谷。いつも言ってるだろ。おまえをアメリカ旅行に連れてったり、部長にしたりして優遇しただろ。大人しくしてオレの言うことを聞け、悪いようにしない。金もそれなりにやるから
と、いつものセリフで締めくくろうとした。
何度も聞かされた立本氏の決まり文句で、しぼみかけた私の闘争心が戻ってきた。

「この前、浦山さんに会いましたよ」
その言葉で、立本氏がいやぁ~な顔をした、私はすかさず言葉をつないだ。
「浦山さん、任天堂に私のゲームを持って行って話を決めた功績で、2000万円もらったと言ってました。だから、本谷ももらえって。だから私、こうして話をしてます」

私の言葉で、その場が凍りついた。
(当時の)2000万円である。それを橋下氏も田村氏も知らないようだった。
とくに橋下氏は、責めるような目で立本氏を見た。その反応で、私は反撃の糸口をつかんだ。

立本氏は、その私の予期せぬ反撃にやや窮した。
おそらく浦山氏にお金を渡すときに、
「本谷には言うな!」
と口止めし、あのお金には口止め料も入っていたのだろう。

けれど、浦山氏は私との友誼か、私への同情かで、その後のために私に貸しを作る目的か、で私に話してくれたに違いなかった。

立本氏は、私がそれ以上色々言って抵抗を続けるとマズいと感じ、この場の話を早く終わらせようと思ったのか、鞄の中から小冊子を取り出して、私の前にポイっと投げた。

それはテーブルの上で音をたて、少し滑って私の前で止まった。

なんだ、これ?

立本氏が、
「小切手帳だ」
と言った。

私はその小切手帳をじっと見た。

小切手帳というものを人生で初めて見たし、その後も見たことはない。
立本氏は、薄ら笑いを浮かべながら、
「まあ、お前がかわいそうだから…」
と言った

かわいそう?
か、わ、い、そ、う?

私は、この言葉も一生忘れない。

「そんなに金が欲しいんなら、めんどくさいから金をやる。それに好きな金額をかけ。それをやる。それでこの話は全部終わりだ」

めんどくさい?
私は物乞い?
話は全部、終わり?

私とは別の感覚世界にいるらしい橋下氏は、色をなした。
「払うことないですよ。ゲームは僕が作ったんですから」
『僕(橋下氏)が作った?』
もはや、その場は『異次元ダークサイド・ワンダーランド・パート2』と化したのであった。

「まあ、ここはオレに任せろ」
と、立本氏が制すると、橋下氏は沈黙した。

そして、私の前に座るソフトニカの3人が、その小切手帳と私をじっと見て、私がどうするのかと固唾を飲んだ。
田村氏だけ私に同情的な伏し目だったので、少し救われた。

さて、私はどうするのか?
あなたなら、どうするのか?

こんな映画やドラマや小説みたいな場面の主人公になったことないでしょ?
すごく長い時間だったような気もするけれど、私は10秒くらいしか考えなかったと思う。答えはすぐ出ていたのだ。

浦山氏が、2000万円だから、当然私はそれ以上もらわねばならない。

バレーボールの売り上げだけでなく、ソフトニカは任天堂との下請け契約で、かなり良い条件をもらっていた。それは何度も立本氏に聞いていて、『部長』の私は知っていた。
ソフトニカにはお金があり、その後も入ってくるだろう。

そういうお金が当時どこにどう使われたのか、私が去った後どう山分けされたのかは知らないけれど、そのときは、1億円はともかく、5千万円なら、その小切手帳に書けばもらえると私は感じていた。
確信はなかったが、浦山氏が2000万円なのだ。

私の答えはすぐ決まっていたが、やはり迷ったのである。
後で、どういうふうに言われようが、ここで金額を書けばいいのである。
誰でも(その額をもらえる保証はなかったが)、数千万円は欲しいでしょ?

そもそも、ソフトニカが大儲けして得ているのは、私が貰うはずのお金なのだから、それをもらわないバカはいないでしょ?

私は、
「こんなもん、要らない!」
と言った。

そう言い放った時は一瞬だけ、目の前の霧がさっと晴れたように爽快ではあったが、もちろん心の中のもう一人の私は、正直に言うが、すご~く後悔もした。
もらえたかどうかはわからないが、もしかしたら、5000万円なのである。(少なくとも数千万円?)

目の前の3人は、当然ながらそれぞれ、びっくりした顔をした。それぞれ、三者三様であった。私は、彼らの表情を見る余裕があった。

立本氏は素早かった。
すぐ小切手帳を掴んで鞄に収めて、
「よく料簡した。このまま会社にいて、オレについてくれば悪いようにはしないから安心しろ」
と嬉しそうだった。もちろん、「こいつはバカか」というように物珍しい動物でも見るような視線を私に向け、嘲笑していたけれど。

私は正社員ではなかったし、もうこの会社と縁を切る決心をしていた。
こんな扱いを受けて働き続ける神経など私にはない。

田村氏は、複雑そうな顔をしていたが、
「当然の権利だから、もらっておけばよかったのに…」
という感じだった。

面白かったのは橋下氏であった。さも当たり前だという様子だった。
おそらく、あそこで私がお金をもらわなかったから、橋下氏は恐ろしい勘違いを頭の中で組み立ててしまったのであった。
その『恐ろしい勘違い(思い込み)』は、その後現在に至るまで、『任天堂バレーボール』の歴史を歪曲することになるのである

橋下氏は、私がそこで抵抗しなかったので、
「『任天堂バレーボール』は、自分(橋下氏)が作ったんだ!」
との発言を私が認めたと思い、その思い込みを確信にしたのである。
そうでなければ、そのあとの『任天堂バレーボール』をめぐる彼の生きざまが理解できない。

私は、「僕が作ったゲームだ」という、あまりにとんでもない橋下氏の発言に、口あんぐりで絶句していただけで、そんな理屈は問題外だと思っていただけである。

その後の橋下氏の言動は、(と言ってもゲーム界を去った私はそれらの全てを知りはしないが)、少なくとも橋下氏のインタビュー記事(2020年ファミ通.com)や『任天堂バレーボールを作った男』(2023年ゲームインパクト)を読む限り、その不思議な思い込みで組み立てられている。

また、『任天堂バレーボール』ゲームのタイトル画面に彼の名前だけが燦然と輝いて表示されているわけだが、それを平気で何十年も受け入れてきたことも、それを表わしている。

その時の私は、
「もう私は、まともな人たちのいる世界に戻ろう。こんな『異次元ダークサイド・ワンダーランド』にいたら、人としての尊厳が失われてしまう」
と考えていた。

私は乞食のようにしてお金をもらうことはできない。
数千万円なら、これからゲームで稼げる可能性もある。
私は、また自分でゲームを作ればいいのだ、と無理やり自分を納得させようとした。
すでに目の前に小切手帳はないのだし。

私の立場で考えていただければ、私が小切手帳に金額を書かなかった幾つかの理由は読者にはお分かりになると思う。

書かなかった理由のひとつは、
私を哀れんだように扱ったことが許せなかったからである。
私は正当な原作権の話をしているのであり、金を脅し取ろうとしているのではないのだ。
ここでお金を受け取れば、この人たちは、あとで私のことを貶めるために必ず悪く言い続けるに違いないからだ。
当然の権利でもらえるお金でも、もらい方は大問題なのである
だから、こんなおかしな形で受け取れるわけがないではないか。

そしてもう一つの理由は、
立本氏は「おまえに権利などない」と言いながら、小切手帳を出したのだから、私の反証を聞いていて私に権利があることを理解しただろう。そうでなければ、権利のない私に小切手帳を出さないだろう。

あのときお金をもらってしまえば、私は私の権利も名誉も全部売り渡したことになる。

それは、どうしても受け入れがたかった。
お金をもらわなければ、原作権の話は解決していないはずだと私は考えたのである。

まあ、それは甘い考えであったが…。
とはいえ、あそこでお金をもらっていないから、私はこの本が書けるともいえる。

私(本谷浩明)は、『彼らに何も売り渡してはいない』のだから。

3つ目の理由は、
金額を書いても、ほんとうにその額をもらえる保証などなかったからである。
信用できない人間を信用できるわけがない
私は、人生で小切手をもらったことが一度もないし、その目の前の冊子が本物の小切手帳かどうか確信がなかった。
私がそこに金額を書いたら、確実に銀行で現金にできるのかどうかも実感としてわからかなかった。
だから、書けるわけがないのである。

これらは契約や法律の問題でもあるが、『正義』と『矜持』の問題でもあるのである。
まあ、そんな言い方は、『アホな甘ちゃんの正論もどき』でしかないから、世間には笑われるのだろう。

さあ、どうぞ皆様、私を笑ってやってください。

このようにして、私は
『任天堂バレーボールゲームの権利を奪われた男』
だけでなく、
『任天堂バレーボールゲームそのものを奪われた男』
になってしまったのである

----------------------------------------
(WEB版での追加注)
実は、『小切手帳に金額を書かなかった理由』は、もう二つある
同人誌『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』では、
「闇すぎる内容は書かないでほしい」
という要請もあったので、割愛した。

その残り二つの理由のうち、一つを書いておく。
(もう一つは、ここでも書けない)

それは、
『小切手帳』に書くことで私に支払われるかもしれないお金は、『裏金』あるいは『正当な処理をされていないお金』だろうと、私は考えるしかなかったからである。
横領なのか背任の類なのか…法律的なことは私にはわからなかったが、立本氏が私に話していたこと、橋下氏から聞いた不満などから、私はそう思うしかなかった。
なぜなら、当時は『立本氏の都合で勝手に使われていた』のである。

私はパックスソフトニカの外部に居たフリーランスではあったが、そんな『危険なお金』をもらってしまえば、同じ穴の狢になってしまう。
日の当たる場所で、正しく楽しくゲーム作りをしていたい私には、それが『毒薬』になってしまう。

のちのち、任天堂さんや世間に、私が経験した出来事を知らせるときに、『足枷』となり、
「おまえも汚い金を受け取っただろう!」
と、パックスソフトニカから、別な脅迫に使われる恐れがあったのだ。

だから、そんな状況で、小切手帳などに金額をかけるわけがないのである。

(もうひとつの)『だから』、私は、この文章が書けるのだ。
-----------------------------------------

 

任天堂バレーボールと
任天堂さんとの開発部隊契約で、
パックスグループには、
お金はたくさん入ってきた。

みんなで、幸せになれたのに。

私がバカだといえば、そうなのだろうけど、
「今、他でお金が必要だから」
と言われ、私は信じて協力して、待った。

任天堂さんと契約をしたパックスエレクトロニカ
(パックスソフトニカ)の経営者は、
勝手にお金を使いまくってたわけで。
それも、ゲームと無関係なところに

なぜ、
そこまで、お金に汚いのだろう。
人としての矜持はないのだろうか?

汚い世界に嫌気がさした私が、
『あのとき闘わなかった負け犬』だと
思われる方もいるのだろうけど。

けれど、あのとき、私が怒りに任せた、
行動をしていたら、
任天堂バレーボールは、
発売されていなかったと思う。

任天堂バレーボールを世に出すために、
私は、堪えたわけなので。

なにしろ、私が愛したバレーボールを
ゲーム化した私が、それを潰せないもの。

それに、
今でも書けないことがあるのです。
それを書けば、
「あ~、そういうことか」
と第三者にも闇の構造がわかるのですが…





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2026年01月11日