絶世の美女は、トランスジェンダー [3]
絶世の美女は、トランスジェンダー (3) |
私にとんでもないことを言われて、彼女(彼)は足を止め、大きな目を見開いて、横にいる私をやや見上げるように凝視した。 当然のことながら、私の言葉で、その場の世界が一瞬凍りついた…ような気がした。 私の感覚としては、 「そうだよ」 「そうかぁ」 で、すむことだと思うのだが、やはり出会ったばかりで、お互いにどういう人間かわからなければ、気も使うし警戒もする。 見つめられている私は、しまった!と思いつつ、 「すっげぇ綺麗な目」 と感動していた。 イスタンブールとかにいそうな、複数の色が混じった大きな瞳に似ていた。 彼女(彼)は、私をじぃ~と見ていた。 すごく驚いた、という表情だった。 それから徐々に、不思議そうな表情に変わり、なお私を正面から見つめていた。 私という人間の値踏みでもしているようだった。 私は、その表情が意味するものを理解した。 言葉には出さず、表情で彼女(彼)は、 「なんで?わかったの?」 と、つぶやいていた。 それから、Aさんと私は、並んで会社まで、ゆっくり歩いた。 「(自分が男だとわかったのは)いつからなん?」 「ずっとずっと前から」 「そうか…」 私は子供のころから、おかしな(まともな)人間で、そういうジェンダー的なものを不思議だとも変だとも思ったことがなかった。へんだと思うほうが変だからだろう。 人間であること、女であること、男であること、そういうものは『文化』でしかないから、その『文化』をどう受け入れるかは個々人の好み(あるいは意思と関係ない必然)なのである。 生物学的なものと『文化(記号や象徴としての性)』が合致しないくても、おかしなことじゃない。 文化は、ある趣向に基づいた偏執的な人工物でしかない。 誰もが無条件に『あたりまえ』と思えるものではない。 「この話は、今後2度としない。たぶんそうしてほしいようだから、誰にも言わない。」 と、私は彼女(彼)に言った。 彼女(彼)は、黙って、うなづいた。 (数十年後に、こうして初めて書いているが全く個人を特定できないので約束違反じゃないと思っているし、そもそもこういうことはオープンに普通のこととして会話されるようになるべきなのである、と私は思うのだが、おかしな偏見を持つ人間もまだまだ多いので情けないものである) この話は、1990年代のことで、まだまだ、今より格段にLGBTについて語られない時代なのであった。 今でも差別感はかなり残っている。 特に女性がトランスジェンダーである場合の世間的『慣れ』が、男性がそうである場合の『慣れ』に比べて、小さすぎると感じてる。そういう、ダメな社会である。 そういう時代でもあるし、彼女(彼)もそれを公表するつもりはないということで、そのことに触れないのは、男同士の約束となった。 (こういう表現も変なのだろう。『(人間同士の)約束である』と書くべき) 当然のこと、その後、私は彼女(彼)を男性として接した。 姿かたちも声も、とても美しい女性なので、なかなか難しいかと思っていたが、そうでもなかった。 |
(このお題、つづく) |
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