(大昔の)大阪万博の苦い思い出 [7]
(大昔の)大阪万博の苦い思い出 [7] |
コンパニオンのお姉さんは、狙う筒をプレーヤーの子供に提案(指示・強要)するだけでなく、恐ろしいことに…次の段階の子供の自由意志(プレーする喜び)をも封じ込めていたのであった。 『筒の中にボールを落とす目的を成功させて、子供たちは賞品をもらって喜ぶ。観客も喝采する』 という予定調和の実現は、コンパニオンに課せられた使命ではある。 そのために、コンパニオンがアドバイスすることは許されるだろう。プレーヤーは小学生以下の子供だし。 ところが、実際はこういう感じなのであった。 (【コ】コンパニオンさん、【子】プレーヤーの子供) 【コ】さあ、始めましょう。スタートと言ってください。 【子】スタート! 【コ】さあ、動き出しました。まず、まっすぐよ。 【子】まっすぐ! 【コ】狙うのは、あの右側の赤い大きな筒ですよぉ。どっちに行くのかなぁ。右ですよぉ。 【子】右! 【コ】はい、次はここらへんで、ちょっと前じゃないかな。 【子】前! 【コ】さぁ、止まって! 【子】止まれ! 【コ】あ、いい感じのところで、止めることができましたね。じゃあ、ボールを落としましょう! 【子】落とせ! 【コ】わぁ! 見事に筒にボールが入りました! 凄いです!(観客拍手。でもなんか違うだろ感あり?) 【子】…。(嬉しくて笑っているが、自分でやった感がないから不完全燃焼感あり?) 私は目の前の数十人の子供たちが、そういう具合にあしらわれて、全員が見事に賞品を獲得するのを見ていて、持ち前の【いちがい(あまのじゃく、強情)】な性格が沸騰していた。 「ボクは、ああいうふうな言いなりにはならない! 自分の思うとおりにやって賞品をとる! それで失敗したら、それはそれで仕方ない」 私の順番になったとき、私の心はそういうふうに定まっていた。一点の曇りもなくである。 よし、やるぞ! 「ボクは、ほかの子供とは違う、ほんもののパフォーマンスをみせてやる!」 私は、すごく意気込んで、プレーヤーの台上にあがった。 私の名前や、どこから来たかなどの簡単な話が終わって、コンパニオンのお姉さんは、 「じゃあ、始めましょう。左側のあの青い大きな筒にしましょうか?」 と、予定調和に導くべく、甘言を放った。 が、私は、その提案(指示・強要)を無言で無視し、うなずきもしなかった。 私は順番を待っている間にターゲーットの筒を物色し、最も遠くの最も右奥の最も小さい筒を目標に定めていたのである。 あれに入れれば、とても入れられるとは思えないが…だからこそ決まれば、大喝采は間違いなし! 他の意志薄弱な子供たちとの格の違いを観衆に見せつけ、すごい思い出を作って、学校で自慢するのだ! 絶対! お姉さんは、私が無言だったのは、私が緊張しているか、シャイな性格だからと思ったようで、気にもせず、 「じゃあ、始めましょう」 と、マイクで小さく叫んだ。 私は、最も遠くの筒を狙うのであるから、 「まっすぐ!」 「まっすぐ!」 「まっすぐ!」 と連呼し、ボールを持った移動体を、ずんずん前進させた。 今までの子供たちは、近くの大きな筒を目標にし、コンパニオンの指示通りに音声指令を出し、筒にボールを入れることに成功していた。 が、私はそういう『お決まり』を無視して、一直線に会場の向こう端までボールを下げた移動体を進めさせているのである。 「おおお…、なんやこいつ!」 「今までと違うこと、やりょうるぞ」 「大丈夫なんかぁ」 そういう…これまでと異なる熱気を帯びた観客の雰囲気を、私は感じていた。 このような無謀かつ大胆な行為は、もし失敗しても、私のその思い切った挑戦は観客の心に永遠に響くに違いないのだ。 よし、いいぞ! ボクって、注目の的だぞ! そう。 確かに、私は観客たちの注目を浴びたし、彼らが家に帰ってから、間違いなく私の話を家族や友人知人に対してしたに違いない衝撃的な結果を出したのであった。 私のとって、その衝撃は、半世紀近くたった今でも、鮮明である! (このお題、つづく) |
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