対談<002-5>姓名判断(数霊法) その5
ゲスト | 姓名 判太郎 (せいめい はんたろう) |
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略歴 | 東大、オックスフォード大卒。卒業後アルバイト生活をしながら姓名判断に関する研究を15年間続ける。姓名科学研究の第一人者。著書に『ええーっ!!その名前でいいの?』『名前に秘められた超絶パワー』など多数。41歳。 |
姓名判断(数霊法) その5
G | 例えばですが、 「オレは学校成績が悪いうえに、貧乏に生まれたから不幸なのだ」 と考える人がいた場合、能力の問題も経済上の問題も努力だけではなかなか簡単には解決できません。 しかし名前は簡単に変えられます。 |
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れ | ははぁ、名前が運命を左右すると考える人が、姓名判断で改名するんですね。 |
G | そうです。もし【名前の画数が不幸の原因】であれば、名前を変えれば解決するのですから、こんなにラクチンなことはありません。 もし【 名前の画数と自分の運命が関係ない】のなら、間違えて変な名前にしてしまっても不幸になる心配はありませんから、ドンドン変えればいいのです。 |
れ | あ、怪しい言い回しですね。その言い方ですと、もし名前の画数が運命と関係あるなら、間違えて変な名前にしたら不幸になりますよね。 |
G | あ、わかりましたか。鋭い!さすが!私の言葉のイカサマを見逃されないですね。そうなんです。ですから、そのお手伝いのために、私たちがいるということです。 |
れ | あなたのおっしゃる論点や理屈はあやしいですが、私はそういうところは、さほど気にしないのです。世の中や宇宙には不思議はあるし、『怪力乱神』を語ってもいいと思うのです。面白いし。 ただし、私がこういう問題でいつも考えることは、語る場合の【信義】や【責任】なんです。 |
G | ・・・? |
れ | 気分転換くらいの気持ちで改名したりするのはいいと思うのです。でも、切羽詰まって人生を賭けるような気持の人がいるとき、『この名前でバッチリ!』と言える勇気というか絶対の自信というか、重い責任感というものはどうなのだろう?と思うのです。 |
G | (つづく) |
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