【絵馬016】 『安物買いの銭失い』の性格…
<今日のお題> |
『安物買いの銭失い』の性格が直りますように。 |
その絵馬に書かれた願い事の、本当の意味とは? |
【スノーウィー神主のつぶやき】
『安物買いの銭失い』とは、『一般的に値段の安いものは品質が悪く、長持ちしないので、結局は損である』という意味でしょう。
もちろん、『売値が高くとも、品質がそれに見合わない』ということも、よくあることですし、『値段の割に、すごく良いじゃん、これ!』というものもあります。
私はかつて百円ショップで、百円のペンチを買いましたが、一回使っただけでペンチの先端部が粘土のように曲がってしまい、
「いくら百円でも、これは…」
という経験があります。
物品の場合は、その原価が主に『原料と加工賃』だとしますと、百円で売るもの千円で売るもの、原価率は様々でしょうけど、ある程度利益が出なければ商売が成立するはずがないので、価格が安いものは、品質も『それなりのもの』なのは当然です。
『それなり』の中から『よりマシなもの』をチョイスする眼力が、一般庶民に必要なスキルということですね。
では、『物ではない』場合は?
つまり、『愛情』だったり『友情』だったり『思いやり』だったり『やさしさ』だったり。
「そういうものは、お金じゃ買えないぞ!」
というのは一見正論ですが、そういうものをお金で売る商売はたくさんあります。
「そういうのは本物の心や情ではない! フェイクだ!」
という意見もあるでしょう。
フェイク?
フェイク(Fake)があるからには、それと対比できるリアル(Real)がある前提なのでしょうか?
ほら、にわかに怪しくなっていますよね。
今日の絵馬は、『安物買いの銭失い』です。
言い換えると、『ケチれば低品質しか手に入らない』ということです。
(もちろん、まれに例外もありますよ。稀にね)
物品を買う時の対価は、お金です。
人の気持ちを買う時の対価は?
「人の気持ちは買うものでもはない!」
うん、そこは私もそう思います。
「人の気持ちに対価は必要ない!」
これは、どうですか?
この『対価』が金銭なのか、それ以外のものなのか…で、話は違う部分もありますしね。
そういう論考になってくると、『価値とはないか?』とかも考えねばならず、もはや論文になってしまい、こういう駄文では扱えません。
もう一度確認しますけど、
『安物買いの銭失い』が『ケチれば低品質しか手に入らない』という意味であるなら、
『自分が10円しか出さないなら、相手も10円に見合うものしか出さない』
ということです。
まあ世の中には、こちらが千円出しても(出したつもりだけ?)、10円のものしか返さないケチん坊もいますが、普通に考えれば、
『自分がたくさん出せば、相手もたくさん出す』
ということです。
あ、お金のことではないですよ。
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