エニックスのパーティ <1986年頃>
エニックスのパーティ <1986年頃>
すご~く昔のことだが、私は株式会社エニックス(現:株式会社スクウェア・エニックス)が、毎年行っていたゲーム開発関係者を慰労するパーティーに数回参加したことがあった。
時期は最初のドラクエが発売されたころ(1986年~)だと思う。
エニックス主催のこの種のパーティーは立食形式で、ゲーム開発者らの情報交換や懇親を深めるものであり、締めにはお決まりのビンゴが毎年あった。
パーティーに出席している者は皆、若かった。
新しい職種であるゲーム開発者ばかりだからだ。
そう、私も若かった。
ある年のパーティーで、ゲーム開発者でも会社関係者でもなさそうな品のある一人の中年の男性が、一人で皿に食べ物を取り分けている寂しそうな(あくまで私の主観…)姿を見た。
その男性はエニックスの社長さんなどお偉方とは時おり会話しているが、我々のような若い開発者とは距離があるようだった。
私は当時の福島社長さんに近寄り、「あの方はどなたですか?」
と訊いた。
それは、ドラクエの作曲を担当された<すぎやまこういち>先生であった。
すぎやま先生は、その当時私の父親くらいの年齢であり、かなり高名な作曲家だという意識が我々のほうにあったため、ゲーム開発で直接の関係でもなければ若い我々ではなかなか気軽に話しかけることはできない存在だったのだ。
「寂しそうだ。これは何とかせねば!先生を一人にするなんて、失礼だ!」
と、私は勝手に意気込んだ。(大きなお世話)
私は勇気を出して、一人で立っておられる先生のもとに歩み寄った。
そして、少し緊張した笑顔を作り、力強く言った。
「先生!わたしは先生の歌われてた『青春時代』が大好きでした!」、
と。
先生の孤独(あくまで私の主観…)を打破したことで、私は自己満足に浸り、にこやかに微笑んだ。
が、すぎやま先生は、なんとも言えない複雑な表情をされて、私の顔をじっと見つめておられた。
この私の行為がいかにトンでもないものかについて、話が古すぎるから、ちょっと説明が必要だろう。
このパーティーがあった時期より前に、日本歌謡界で大ヒットした【青春時代】という歌があった。
『森田公一(もりたこういち)とトップギャラン』というグループの曲で、ヒットしてから日月は経過していたが、当時は誰でも知っている歌とグループだった。
そう、私はドラゴンクエストの作曲者<すぎやまこういち>先生と、大ヒット曲【青春時代】を歌っていた<森田公一(もりたこういち)>氏を混同していたのだ!
ただたんに、名前の<こういち>つながりで・・・。
これは、宇多田ヒカルさんに、
「(倖田來未さんの)キューティーハニーが大好きです!」
というようなもの…よりひどいのか?
ふつう、そんな間違いをするはずはないのだが、そのとき私は…どうかしていたのだ。
しかし、私は自分の失言(森田公一氏と間違えていること)に、まったく気づかずにいた。
すぎやま先生は、戸惑いも多少の憤りも感じられていたはずだが、無礼な間違いを犯した私に対して、静かに
「ありがとう」
と言われた。
なんと、度量が大きく心が広い!
私はその後も自分の愚かな間違いに気づかず、楽しくパーティーを過ごした。
その後何十年たっても、 世間でドラクエの話題が出るたび、私はこのときのことを思い出す。
<すぎやまこういち>先生、ほんとうにすみませんでした。
※プライバシーに配慮し、顔表情がわからないよう画像をぼかしてあります。 |
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