<03-1>バレーボール【PC-6001~MSX(※ファミコン)】1986年
<バレーボール>【MSX】1986年(→※ファミコン)
【2024年10月】
『MSXアタックフォー』復刻販売されることになりました。
(時期はまた未定ですが、準備は進んでいます)
付録として、『(仮)MSXアタックフォーと、それを原作として作られた任天堂バレーボルについて』というような冊子も作っています。
このサイトにすでに書かれている内容の基本は変更ありませんが、冊子のため、開発時の出来事や時間軸を整理しています。
そのため、ここの記載内容を一部修正追記することになると思います。
そのポイントは、おおもとは、私が作った『PC-6001バレーボール』だという部分です。
①
PC-6001で、私が最初のバレーボールゲームを作って、パックスソフトニカに持ち込んだ。
②
いつものように、T氏に見せ、販売することとなった。(H氏は無関心であった。ルートが違うし、バレーに興味もなかった)
③
PC-6001版にBGMや細かな演出を加えるより、今後が期待でき、ゲームが作りやすいMSX版に移植することになった。
④
そのころ、PC-6001バレーボールが、社に出入りしていたU氏(外部の人)により、任天堂さんに持ち込まれた(売り込み)。
⑤
任天堂さんがそれを気に入り、PC-6001版バレーボールを原作にして、任天堂ブランド(ファミコン)でバレーボールゲームを発売することとなった。→ パックスソフトニカと任天堂の出会いは、私のPC-6001バレーボール!
(選手の腰振りダンスは宮本氏のお気に入りで、それは必ず再現すること!と言われ、後のアイスホッケーでも踏襲された)
⑥
バレーボールを誰も知らなかったし、すでにゲーム化した私が原作者としてファミコンに移植すべきだったが、ファミコンの経験がなかった。
➆
そこで、話し合って、一作作って経験のあるH氏が、ファミコンへの移植を担当することとなった。
⑧
H氏は、バレーボールのことはわからないので、私がMSXへの移植をしながら、同時に監修することとなった
。
⑨
私が担当したMSX移植版が先にでき、発売された。
⑩
ファミコン移植版は、任天堂ブランドなので情報開発室からの演出やBGM追加、また途中でカセットではなくディスクシステムに変更になったため、発売はMSX版より後となった。
※このあたりは、『MSXアタックフォー復刻版』に資料としてまとまったら、ここで載せれればと思います。
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別項の『ファミコンのディスクシステム』のところでも、このゲームについて触れているので、記述が重複する場合があることをお許しください)
私の原作は、MSXで、【アタック・フォー】となっている。
スペック的に、つまりハード機能の制約で、6人ずつのキャラクターが表示できず、
「4人制バレーボールってないだろ?」
って突っ込まれないように、悲しくも「バレーボール」というタイトルでなく、こうなった。 と記憶している。
PC-6001というパソコンで、手探りながら ベースボールゲームを作って、なんとなくゲームの作り方が理解できたので、
「じゃあ次のスポーツは?」って考えたときに、自分が学生時代にやっていたバレーボールに決めた。
ただし「アタック・フォー」は、PC-6001ではなくMSXで開発した。
たぶん、PC-6001で作った記憶があるので、製品化はされなかったが、プロトタイプを開発していたのだと思う。
PC-6001でバレーボールを作ろうとしたのは、それまでにゲームを数作作って発売していたので、汎用的に使えるサブルーチン群がいくつもあり、開発工程もある程度確立されており、PC-6001に慣れていたからだが、結局製品化になったMSXでバレーボール(「アタックフォー」)を作ったのは、おそらくMSXのほうがスペック的に作りやすかったか、MSXのほうにゲーム機としての可能性を感じていたからだろう。
とはいえPC-6001よりゲーム開発に向いていた(と私は記憶している…)MSXでも、ハードの制約(スプライトとかいう機能だったようなが…)で4人しか選手キャラを表示できなかった。
が、当時はまだバレーボール界では、バックアタックが頻繁に普通の攻撃としてが使われる時代ではなかったので、セッター以外に攻撃者が3人いれば、バレーの攻撃はほとんどできるということで、チーム4人で作ってみたのだ。
自分がバレーボールをやっていたこともあり、ミュンヘンで日本男子バレーが金メダルを獲得し、それまでのバレーボールの概念を変えた(見ていて断然面白くなった)『クイック攻撃』『時間差攻撃』をどうしても再現したかった。
当時、それなりにこのゲームが受けたのは、そのあたりの「バレーボールらしい攻撃ができる」という意図が、まずまず表現できたからだと思っている。
【アタック・フォー】の画像や動画を見て苦笑される方は多いだろうが、私のいた会社の営業K氏(正式の社員ではなく別動隊のような人)が、これを任天堂に持ち込み採用されて、ファミコン版のディスクシステムで、世界同時発売になった。
かなりのレジェンド・ゲームといえよう。
私はMSX版の修正開発を一人で行っていたため、ファミコン版はファミコンのゲームを先行して開発経験のあった同僚のH氏に任せた。
私は同じ部屋で、私のバレーボールがファミコン版になるのを見ていた。
もちろん、私は原作者のなのでアドバイスや意見は言えたし、求められた。
私はバレーボールの経験者であったし、ともかくファミコン版でも、それらしく見える「クイック攻撃」「時間差攻撃」を実現したかったので、そのあたりはかなり意見したと思う。
私の所属する会社も初のファミコン開発であったので苦労はしたが、マリオの宮本氏を中心とする任天堂の情報開発部の指導で開発しているので、技術的にわからないことは全て任天堂に直に聞くことができ、その都度、懇切丁寧に教えてもらうことができた。
ゲーム画面動画を観てもらうとわかるように、あの有名なイヤラシイと言われた【選手の腰振りダンス】は、私の原作である【アタック・フォー】が、オリジナルなのだ。
別のところでも書いたが、プログラム担当のH氏はとても優れた開発者であったし、ゲーム性はあのマリオの宮本氏が総合演出なのだから、私の原作を超えたゲームになったことは当然だろう。
私もこのゲームからファミコン開発の世界に入ることになり、とにもかくにも私とっては、懐かしくて宝物のようなゲームなのだ。
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