『運気』の定義は、『自然界の現象に現れる人間の運勢』であり、『運勢」とは、『勢』という漢字でもわかるように、時間や状況で変遷するもの。
ところが、もっと強力な言葉である『運命』とは、あらかじめ決定している、あるいは、人生の最後に結果として示されたものだから、すでに決定論である。
さて、『運命』はともかく、『運勢』は流動的だということだから、何かしらの行為で変えることができるはずである。
ここが重要だと思うのだが、
『運命がひどい者は、運命のひどさに引きずられて、運勢も良いように変えられないのでは?(運命が変えられないのだから)』
という疑義である。
となると、
『運命そのものを変えるしかない!』
ということになる。
要は、
『じゃ、運命って変えられるの? そもそも運命ってあるの?』
である。
量子力学的に言えば、たぶん『決定論』はない。
だから、運命はない。
ほんとかよぉ!…である。
もはや、哲学の世界(考え方次第)。
とりあえず、
『よい運勢が積み重なれば幸せには違いない』
という現実論が王道である。
その王道の従者が、【占い】であろう、
占いというものは、運気(運勢)を観るものであるから、冒頭で書いたように、『自然界の現象に現れる』何かを知らねばならない。
そのために『運気がわかる特殊能力者』が必要になるわけでもある。
本当にそういった『特殊能力』が存在するのか、存在するとして、あの人のその能力が本物の特殊能力なのか?、は、誰にも分らない。
誰の特殊能力が本物なのかはわからないが、そういう(多くは自称)特殊能力者は、『運気』を知るために、具体的な自然界の現象の中に顕れている兆候を感じ取ることができ、それを(特殊能力に欠けた気の毒な)一般人に教え、それへの対処の仕方も教えるわけである。
特殊能力のない一般人は、しかたないので、彩雲が良いとか、虹が良いとか、朝の蜘蛛が良いとか、茶柱が立つと良いとか…。
黒猫は不吉だとか、4の数字や13の数字は不吉だとか、そういうもので何とか不確実で不安な世界を生きていく。
私は、【医師】【教師】【占い師】のどれにもなれる能力がないが、あってもならない。
人の人生を直接いじるなんて、そんな勇気はない。
「占い師を、医師や教師と並べるなんて、どうかしてるぜ!」
って?
たしかに、そうですよね。
でも、占い師って、同じくらい責任ある職業だと思うんですよ。
私が言いたいこと、わかっていただけますよね?
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