自分を見つめる?
そんな無意味で恐ろしいことなどできないから、人々は酒飲み、テレビや映画で空想物語に没頭し、スポーツ観戦に血眼になり、twitterで評論家になった気分を味わい、Facebookでありもしない絆を確かめ、インスタグラムでバーチャル人生をねつ造する。
タチが悪いのは、何かの成功こそ人生だと勘違いする変人ほど、この世で大きな顔をして、のさばっていることである。
自分を見つめるのが、恐いんである。
「私は何者なのだ?」
この問に、哲学も宗教も、カウンセリングも世間での成功も答えてはくれない。
その問に答えは無いが、答えのない人生を生きる勇気や強靭さを持つ人などいない。
ただ、答えのない問を抱えたまま『自分を見つめる』勇気や強靭さには個人差がある。
その個人差をわからなくするために、人は必死で毎日はしゃぐのである。
たぶん。
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