三原市の風景 『小早川隆景像』
三原市民は、小早川隆景が好きです。
うちの執事(当サイトの管理人れたす)の記憶によると、昔々には市役所前に、小早川隆景公の像があったんだそうです。
(…この記憶、アテになりませんけど)
今は、三原駅北のロータリーにある隆景広場に小早川隆景像があります。
三原で育った執事によると、三原は、江戸時代は広島城に本拠を置く浅野氏が大名で領主なのですが、市民はそんなことを覚えていないそうです。三原には、浅野氏の影も形もありません。
『三原は隆景が領主。三原城は隆景が築城した名城』
というのが市民の矜持ですから、それもしかたないようです
沼田川をさかのぼった沼田東町納所(のうそ)というところに、小早川家の墓所がある曹洞宗米山寺があります。
執事は子供の頃、この辺りの山に毎年マツタケ狩りに行った記憶があるそうです。
小早川家は、隆景が秀吉の信任を得たこと、秀吉の妻おねの血縁の羽柴秀俊を養子にしたこともあって、一時期は大いに発展しましたけど、関ケ原の顛末(小早川秀秋の寝返り)で、いや~な家名になってしまいました。
うちに執事は、(おそらく全ての三原市関係者も同様でしょう)、
「あれは隆景公と関係ないアホ!」
と切り捨てて、精神の均衡を保っているみたいです。
(…うちの執事の私的見解)
小早川隆景が『三原の隆景』と呼ばれたように、三原も『隆景の三原』なんですね。
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