三原市の風景 『三原城址』

 

JR三原駅は、かつてのお城の(石垣の)上にあります。

瀬戸内の海に面して美しい姿を水面に映していた【浮城】と呼ばれた三原城。

現在は石垣とお堀の一部のみが残っていて、建物はありません。

ですから、昔の広大で美しかったお城の姿を想像する手掛かりもありません。

 

上物がほぼ何も残っていないのはとても残念ですけど、整備されたお堀端に立って、駅に隣接している天主台跡を眺めていると、往年の雰囲気はなんとなくわかります。

天主台跡のほかに、中門跡、石垣跡、刎跡(はねあと)、船入櫓跡、船入櫓岩礁などが残っているそうです。

 

小早川隆景公は、毛利氏に属した瀬戸内の水軍を統括していたので、こうして海に向かって開いているお城を作ったですね。

 

うちの執事(当サイトの管理人れたす)は、子供の頃、この天主台跡で遊んだ記憶があるそうです。

 

 

三原城
三原城は永禄10年(1567年)、毛利元就の三男・小早川隆景によって、大島・小島をつないだ埋め立て地に建てはじめられたと伝わっています。
 現在は天主台や舟入櫓の一部しか残っていませんが、当時は、東は湧原川から西は臥龍橋付近まで約900m、南北には約700mもの長さだったといわれています。この中に本丸、二之丸、三之丸があり、櫓が32と城門が14もあるとても大きな城でした。特に天主台は広島城の天守閣が6つも入る日本有数の広さです。
 満潮時に城の姿が海に浮かぶように見えたことから別名「浮城」とも呼ばれています。
(三原市のHPより)


 

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2018年03月18日