(エピローグ)
妊娠出産した牛の乳は子牛のために特別な成分が増える。
そうなると乳の味も変わるので、出荷できない規則であった。
しかし先に書いたように、牛の健康bのために、毎日必ず搾乳はしなければならない。
搾った乳は、まず生まれた子牛に与えられたが、それでも余る。
「これは牛乳豆腐にしましょ。食べたことがないでしょ」
と奥さんが言った。
「牛乳豆腐?」
私は牛乳豆腐を作るところを見せてもらった。作り方は簡単である。
生乳を少し熱し、そこに酢やレモン汁などの酸を加えるのだ。すると豆腐状の固形物と、ホエー(乳清)と呼ばれる透明な液体に分離する。
固形物となったほうを【牛乳豆腐】というのである。
これはタンパク質の塊であり、豆腐というよりチーズに近い感じだ。
出産時の牛乳(初乳)はタンパク質が多くなるので、固形状になりやすいらしい。
私はその牛乳豆腐を美味しく食べながら、この豆腐の原料である乳を飲むはずだった子牛のことを考えた。
生後すぐに人間の都合で親子離別なのであった。気の毒すぎる。
もちろん仕方のないことだし、誰も悪くない。
気持の問題として、そのあと私はその母牛を特に丁寧に世話するようにした。
離別が不憫でもあるし、しょうがないこととはいえ、また牛的にはそれほど痛くなかったろうとはいえ、彼女に殴る蹴るの暴力行為?をしてしまったからでもある。
その母牛は妊娠していることもあって神経質になっており、出産前からもともとおとなしくはなかった。
乳首を拭くためのお湯を入れているバケツを蹴り倒したり、例の尻尾で私の顔をバシバシ叩くという行動をよくやっていた。
出産後もそれは同じであった。私に何度もそういうことをした。
母牛は、おそらく私の顔も行為も覚えているに違いない。
となれば、それは当然の【報復】である。
私は性格も人格も良くないし気も短めの人間だが、出産後のアルバイト期間中は、ずっと彼女の【攻撃】は甘んじて全て受け入れた。
ところが私のバイトが終わる数日前から、彼女(母牛)は私も対して何も報復?をしなくなった。穏やかにおとなしく乳を拭かれ搾乳されるようになった。
私を 許してくれたのだろうか?
(実際の『O牧場』の当時の写真)
私は最後の日に牧場を去る前に、小高いところから牧場を眺めた。
牛たちが遠くでくつろいでいた。
残念ながら、そこまではかなり距離があって、私にはどれがあの母牛かはわからなかった。わからなかったが、
「ほんじゃあね」
と声に出さず私は心の中で彼女に声をかけた。
主人の車で厚岸駅まで送ってもらうことになっていた。
家族全員5人が、家の前で私を見送ってくれていた。本当に楽しい日々だった。
車に乗ろうとしたとき、牧場の遠い丘の上のほうから、
「べぇ~」
と、一頭の牛の声が小さく聞こえた。
あの声は、もしかして…。
(このお題、完)
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