北海道の牧場・子牛の出産 [6]
北海道の牧場・子牛の出産(6) |
とんでもない仔牛の出産(…あれが出産?)を体験した私は、翌朝いつものように薄暗い時間に起き、牛舎に入った。 昨日産まれた子牛が、牛舎の一番奥につながれていた。 子牛は獣医さんの懸命な手当てにより蘇生して元気になっていたのである。 生命の力というのは、すごいものなのだ。 でも、ポツンと一頭の小さな体は寂しそうであった。なんか不憫でもあった。 そして私には懸念があった。母牛のことである。 「あんな無理な出産だったし、苦しくて気も失ったし…。それは情状酌量しよう。でもあの母牛に子牛に対する愛情はないのかなあ」 と、私は昨日の母牛の退場シーンを思い出して、少し興ざめな感じがしていたのだ。 日課である配合飼料の用意をして、いつものように牛舎の内側から牧場側にある扉を開けると、一頭の牛が私のすぐ目の前に立っていた。 「うわぁ、なんだ!」 大きな頭と大きな眼が、開けた扉に鼻先がくっつかんばかりのところにいたのある。 扉を開けた態勢の私の身体から、ほんの数十cmの至近距離だ。 それまでにそんなことは一度もなかったので、私はびっくりした。 ほかの牛たちは、いつものようにその後方でのんびりと待機している。 その一頭だけが異様であった。 その牛には目の前の私など存在しないかのようだった。 その牛は頭を少し持ち上げて、いきなり 「モウオ~」 と、すごい声で啼いた。 なにやら目が血走っているようでもあった。 そしてその牛は私に体当たりをする勢いで牛舎の中に突進してきた。私はとっさに身を避けた。 「あ!」 そのとき私は気づいた。 そう、その牛は昨日の母牛であった。 牛舎の奥に子牛を見つけると、母牛はここが闘牛場であるかのようにダッシュして子牛のところに走り寄り、すぐ子牛の体を舐めはじたのである。 ペロペロペロペロ、と一心不乱だった。 子牛も母牛のことがわかるのか、すりすりと母牛の足にからんで甘えていた。 それを見て、私の眼から大粒の涙が溢れてきた。大量のポロポロと涙が自然に出てきていた。 昨夜の母牛のあっけない退場シーンに興ざめした思いがあっただけに、よけいにその光景に私は感動していた。 泣きながら、私はこう想像をした。 おそらく母牛は気絶したショックで一時的な記憶喪失になり、昨日はあんなつれない行動をしたが、あとから記憶が蘇り本能の母性が発動してしまった。 母牛はいてもたってもいられなくなり、明け方前から牛舎の扉のまん前に立って、ずっと待っていた、のだろうと。 まるで、ナショナル・ジオグラフィックの一場面である。 私は、子牛と母牛の仲睦まじき光景を見ながら、涙をふきふき感動にふけっていた。 そのとき…。 「こらぁ~!」 と叫びながら、一人の暴漢が箒を手にして牛舎内に飛び込んで生きたかと思うと、子牛をペロペロしている母牛をバンバンバン!と、その箒で叩き始めたのである。 「え?」 その暴漢は、なんと、ご主人であった。 彼は私の感動の名シーンをぶち壊すかのように(ように…ではなく実際に激しくぶち壊したのだが)、母牛を全力で打撃し始めたのだ。 デジャブ…。 昨日も似たようなことがあったような…。 「何を見てる。お前も殴れ。叩いて母牛を子牛から離せ!」 「…」 私は困惑し硬直していた。 これはいったい? もう一度言わねばならないが、このご主人はとても温和な方で、私はアルバイト中に怒られたことも不機嫌な顔をされたこともまったくなかった。 そのご主人が、『また、この暴挙』である。 「この子牛は雄だから、すぐ他所にやる。うちは酪農だから雄牛は飼えない。情が深まるともっと別れが辛くなる」 「あぁ…」 「今のうちに引き離しておくのが人情なんだ。心を鬼にして引き離せ!」 私は目の前の【暴行】の事情は飲み込めたが、目の前の幸せそうな親子の情に水を差すなんて…。 でも、ご主人の言う理屈もわからないではない。 私はひじょうに複雑な思いで、箒を手にした。 「どうして感動だけで終わらないの…かなぁ」 である。 私もご主人と一緒に箒を振り回して、母牛を叩いた。涙に濡れた顔を引きつらせて。 二人の人間に叩かれても母牛は抵抗して、まったくもって動こうとしなかった。 だから我々は余計に強めに叩かねばならなかった。 もし事情を知らない人が見れば、それはまったくもってひどい蛮行で、我々二人はヒューマニティのかけらもない外道に見えただろう。 この人間二人の罪深い行為に閉口して、母牛はイヤイヤながら子牛から離れるしかなかった。母牛は私に尻を押され、自分の首輪がある所定の位置に向かって歩き始めた。 ときどき振り向いて子牛を見ていたが、おとなしく飼料を食べ始めた。 その日の午後、母牛たちが放牧されているときに、その子牛の姿は牛舎から消えた。他の農家にもらわれていったのである。 母牛は数日の間、牛舎に戻ると大きく啼いて子牛を探す様子を見せて牛舎の奥まで走って行った。私はそれを箒を振り回して制した。まるで監獄の悪徳看守である。 そういう数日が過ぎて、母牛は何もかも忘れたかのように平穏になった。 (つづく) |
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