【絵馬027】メリー・クリスマス!
<今日のお題> |
メリー・クリスマス! |
その絵馬に書かれた願い事の、本当の意味とは? |
【スノーウィー神主のつぶやき】
ほほう…。
神社の絵馬で、メリー・クリスマス!
宗教については、なんでもあり(…なんでも無し?)の、日本らしいですねぇ。
日本国民の一部の方が、
「あ、そうか。クリスマスはイエス様が生まれた日で、キリスト教徒にとっては宗教的な祝祭日だったんだ!」
と思い出したりしても、大部分の人には、ただの『楽しく騒ぐ日』でしかないでしょうね。
仏教も神道も、辛気臭いから、横文字でカラフルで楽しそうなクリスマスのほうが好き!
ということでしょう。
といっても、そういうクリスマスのイメージは商業用のもので、本質的なものではありません。
本質?
本質って何?
かっこつけて、『本質』なんて言葉使うんじゃねえよ!
バ~カ!
そういう声も聞こえてきそうです。
私はアカスカ生まれのアラスカ育ちで、かなり成長してから日本に移住した者ですから、現在、わけあって神主をしていますが、もともとはキリスト教の家庭で育ったのです。
ですから、クリスマス(正確には今日はイブですが)には、やはり特別な思いがあります。
ついつい、大画面のモニターで、テッド・ニーリーの『ジーザス・クライスト・スーパースター』を見たいなあ、と思ってしまうのです。
私の子供のころのクリスマスには、教会の奉仕として小グループで、病気などで教会に来れない方の家を回って、家の外で賛美歌を歌ったことがあります。
冬の澄んだ空気の空に星や銀河が光り、神様がいるような気がしました、
ところが、数年たつと、そういう気持ちはなくなりました。
そして、今もありません。
なぜでしょう?
理屈を操れるようになってしまったからです。
理屈を言い始めると、神は(仏陀も)遠のきます。
その【理屈】には、自然科学もあれば、哲学もあり、精神分析や心理学があります。
(※政治学や経済学はありません。質が違うのです)
(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という系譜の一神教的な)神は、いるのでしょうか?
わかりません。
神様が、いてもいなくても、人は生まれてきて、死んでいきます。
遠い将来に何かしらの神の降臨(56億7千万年後の弥勒菩薩のことかも?)があるにしても、そしてその時に復活しようがすまいが、今、ここで生きている私は、様々な経験をし、そのうち消えてなくなります。
いったん消えるのか、永遠に消えるのか?
物理学は、確率のこととして、『一度きりである』と言います。
つまり、永遠に消えます。
医学というか生理学というか、ともかく知見や技術が進んで、倫理的な問題はともかく、そのうち人間にはいまより簡単にクローンができるでしょう。
私やあなたが死んでも、私やあなたが(技術的には)いくらでも再生されるのです。
しかし、それは誰ですか?
そう、記憶が必要です。
とはいえ、もっと技術が進んで、記憶までが脳の中で再生されるのかもしれません。
そうなると、それは私?
何歳の私?
何歳の私でも、お好きに?
そのとき、今、私の周りにいる(私の好きなだけというのは我がまま?)人々が、そのままそこにいるのでしょうか?
いたらいいですが、そしたら(私が嫌いな人でも他の人に好かれているなら再生されるかも?なので)、誰もこの世界からいなくならないので、この世界は大混雑です。
まあ、宇宙は途方もなく大きいので、あちこちをテラフォーミングして移住すれば、物理的な生存スペース不足のことは解決できるでしょう。
しかし、それはそれでたいへんですよね。
だから、そういう身体込みの復活はやめて、脳だけ意識だけ復活?
夢だけの世界で永遠に生きる。
そういうSFは、よくありますね。
ほら、そんなこと考えてると、そんなこと考えても仕方ないって思ってくるでしょう?
だから、いまを、生きるしかないですよ。
楽しく、クリスマスをお過ごしください。
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