【絵馬020】昔は極悪人でしたが悔悟して…
<今日のお題> |
昔は極悪人でしたが悔悟しています。 |
その絵馬に書かれた願い事の、本当の意味とは? |

【スノーウィー神主のつぶやき】
それなりの期間、人生の時を経ている方なら、多くの人が気づいておられるでしょうけれど、この絵馬のように、
「私は…昔は極悪人でしたが反省して、(最近やっと)まっとうな人間になり、お寺(あるいは教会など)で清貧生活をしながら、これまでの罪滅ばしに、祈りと社会奉仕の日々を送っております」
というような者が時々おり、こういう者が、なぜかすっごく褒められたりして、たまにマスコミで大々的に紹介されたりすることさえあります。
人生の大部分で悪事を働き続け、それに飽きたか疲れたかで、
「そうだ京都へ行こう!」
の、思いつきの『ぶらり旅行』みたいな感じで、お寺や教会に行って出家してしまうわけです。
昨日までの、大悪党が…聖人に。
こういう実例や、それをおおげさにした物語は、あちこち世界中にいくらでもありますよね。
もちろん、私は心情的に、そういう『人間の反省、悔悟、生まれ変わろうとする心』を否定しませんし、嗤う気もありません。たいせつなものです。
また社会的にも、そういう『悪人から善人への生まれ変わり』は歓迎すべきことでしょう。
でも、なにか腑に落ちませんよね…。
たとえばイエスに対しては迫害者だったパウロが後に熱心な支持者になるという、あの話。
初めからイエスを支持していた目立たない真面目な人たちより、なんか『よさげ』に描かれているような…。
まあ、パウロは実績からしても、実際に実質もかなりの人物ではあったのでしょうけど。
ああそうだ。こういう絵馬もありましたよ。

どっちの人生が、より『良い』のでしょう?
善悪うんぬんではなく、ということです。
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