【わし、やっさだるマン】<005> 浮城の 石垣登る おちょうしい
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三原出身、当サイト管理者『れたす』の一言 |
『しろあと』、ですね。 三原市民はいまでもたぶん、城址などとは言わず、『しろあと』と言うはず。 (※私の思い込み…) 私が子供のころは、三原城址のことは、ほぼ日常的には忘れられたようになっていたと思います。 目立つ天守や櫓や門のような建築物が残っているわけでもないですしね。 いつのころからか、駅前再開発と同時進行?で、お堀や石垣が整備されました。 私の伯父は長く港町で中華料理店をやっていました。 再開発のとき駅前のビルに入らず、お作治通りで餃子とお酒だけの店を続けました。 餃子は、うまかったです。 私は直伝のレシピを習いましたが、たぶん今や…自己流になってしまったでしょうねぇ。 『てっちゃん』というお好み焼き店があり、すごく美味しいそうですが、私は行ったことがありません。 この店名『てっちゃん』の名前は、伯父さんが中華料理屋の前の前に、お好み焼き店をしていたとき娘さん(私の従姉)の名前からつけられたものだと、母や伯父に聞きました。 伯父が商売替え(飲食店を定食屋⇒中華店)するときに、ある程度人気があって店の名前が浸透していたので、知った人に店名を引き継いでもらったそうです。 (もう半世紀以上前のことなので、代もかわり、知る人は少なでしょうけど) お堀のあたりを歩くと、そういうことを思い出します。 三原城址には、いや、『しろあと』には、もう何十年も立ったことがないです。 というか、三原に帰る機会もすっかり少なくなりましたからねぇ。 今は、こうして、やっさだるマンを描いて、『三原市民もどき』になってます。 |
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