三沢光春への献花式 [1] (長い行列、山のように積みあがった献花…。三沢選手、ありがとう)
三沢光春への献花式(1) |
2009年7月4日、東京・ディファ有明でプロレスリング・ノアによる『三沢光晴お別れ会〜DEPARTURE〜(献花式)』が行われた。 私は妻と花束を一つずつ持って参列した。 三沢選手は、その前月6月13日に私の故郷広島の試合で亡くなってしまっていた。全日本 ⇒ノアという私のプロレスファン遍歴のメインストリート(もちろん新日本や他の団体も好き)としては、言いようのないショックであった。 献花会場は、ディファ有明である。 私と妻は『ゆりかもめ』に乗り、最寄り駅である『有明テニスの森』で降りたのであるが、長く伸びている参列者の列の最後尾がどこなのかさっぱりわからなかった。 花束を手にした人々の列が、大げさではなく、遥か遠くまで続いているのである。 献花式に駆けつける人は多いだろうから、現場は多少は混んでいると思っていたので、私の性格としては珍しいことに、かなり早めに家を出た。 最寄り駅に降りたときは、まだ開場の2時間前くらいの時刻だったが、どうもすでに相当な人数が並んでいるようだった。 『ゆりかもめ』車内には、『花束を持った、どうみても献花式の参列者』が多くいたため、私と妻は、 「なんか思ったより人が多くない?」 などと話してはいたが、座っていたこともあり、車外の光景を見ていなかった。 見ていれば降車する前に気づいていたのだが、参列者の列は(都心側から見て)一つ手前の駅である『市場前駅』付近まで伸びていたのである。 警備の人にそれを聞かされた私たちは、歩いて最後尾に行くのを諦め、再度『ゆりかもめ』に乗り一駅前まで戻ることにした。 立って車内から見ると参列待ちの人々の列が、ディファ有明の前の道から橋の上を越え、隣駅までつながっているのがはっきり見えた。 「なに、これ…」 プロレスを知らない妻(よって三沢選手の偉大さも全く知らない)は、絶句していた。 もちろん、三沢選手を知っていて大好きな私も、絶句してしまった。 三沢のために、こんなに人が集まるのか。 実は、それは事前に予想できたといえばできたかもしれなかったのであった。 というのは…。 そのころ私はJR南武線の小さな駅付近に住んでいた。 バブルで開発は進んでしまっていたが、それ以前は駅前に広い梨畑があったり、少し歩くと小規模ながら水田や畑があるようなローカル駅である。 ローカル駅であるけれど、乗換えをして都心まで1時間程度で行けるので、そこそこの人口はあり花屋は駅付近だけでも4~5店あった。 私は駅に向かう途中にある花屋に入って、私と妻用に2千円の花束を2つ注文した。 (つづく) |
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