驚嘆!文化の感性差

驚嘆!文化の感性差

若いとき(小学高学~高校生)は、日本文化より西洋文化(文明ではない!)に関心を持つことが多いのではなかろうか。

私も生れたときから身の回りにあって私にまとわりついているような日本文化(日本史、風俗)に関心は薄く、西洋文化に憧れていた。

音楽は洋楽、読書は外国文学。
もちろん、うわっつらだけのものだが…。

国としてはイギリスとアメリカが好きで(…ちょっとドイツ)、ジャンルとしてはロックと推理小説などである。

そういうわけで英語が好きだったので、小学生のころからNHKで『セサミ・ストリート』を観ていたし、英語塾にも通わせてもらっていた。

今なら、小学生のセサミファンも英語塾もどうってこともないが、何十年も前の田舎町でのことである。
そのころは変わり者だった。
私が知る限り、そういう子供はいなかった。

西洋文化に触れると、当然のことだが、
「根本的な何かが違う」
ということに、子供でも気づく。

そして、その大きな違いを生むものが、一神教(おおざっぱにキリスト教)であると、論理ではなく感覚でわかってしまう。
子供なので感覚でしかないが、勘づいてしまう。。

となれば、もともと興味もない古臭い仏教は置いておいて、聖書を読み始め、教会に通ったりすることになる。
私は、中学生のころには、そうなっていた。

(仏教は古臭くはないし、キリスト教が他に比べてベターでもない。また宗派により同じ教えなのかと訝るほど違いもある。だから、『キリスト教的なもの』という意味である)

私は中学生のころには近所のルーテル教会に行き(単に近かったという理由)、クリスマスには賛美歌を歌ったりしたし、大学はキリスト教関係に進んだ。

ただし、まったく信仰心というものはない。
就職というものを考えたことがないので、大学などは思索の場だと思っていただけである。

大学1年生の時に映画館で観た『ジーザスクライスト・スーパースター』が、今でも一番好きなミュージカル映画で、ときどき大声で歌って、ストレス解消をする。

私はインターネットが本格化する前に大人になってしまった世代なので、私の西洋理解は、ほとんどテレビ(ドラマ)、ラジオやレコードの音楽、映画、書物である。

不憫なことに、英語圏の外国には数度しか行ったことはない。
だから、西洋のことは、肌感覚としては実はなにも知らない。

とはいえ、子供のころから読む本がないとイライラし、ついに家にあった20巻の百科事典を読むくらいだったし、外国のニュースなどには関心持って調べることもあったので、いわゆる「知識」はあるつもりだった。

さて長すぎる前置きの後、ここからが本題である。

最近、『シカゴ・ファイアー』のある回を観て、私は西洋(この場合は特に限定して『アメリカ合衆国』)を理解することに絶望した。

その私を絶望させた回は、メインストーリーとは関係ないのだが、一台の車が突っ込んできて消防署前の何かにぶつかって事故るところから始まった。
人間の怪我はたいしたことはないのだが、車が廃車になりそうな事故なのである。

運転していたのは、10歳くらいの子供だった

父親が不在の時に母親が産気づいたため、その少年は母親に、
「(病院は遠いから、救急隊のいる)家の近くの消防署まで運転してちょうだい」
と言われて運転してきたのだが、慣れない運転のため、何とか消防署前まで来たものの、そこで事故ったわけだ。

私は、
「おいおい、危ねぇなあ。座席に座ったら前も見えないほどの子供なのに…こんなん、だめじゃん」
と、驚いた。

おそらく、日本人なら百%、そう思うんではないだろうか。
ところが…。

う~ん、ところが…。

消防署前の事故を見て、怪訝な顔で集まってきた署員たちは、その経緯を知ると、
「すごいじゃないか!」
「よくやったぞ!」
「ママと赤ちゃんを救ったな!」
と、少年を抱きしめて、笑いながらのベタほめなんである。

げげっ!!
なんだ、こりゃ!?

私は、そこそこ長く生きてきて、日本と外国文化(西洋キリスト的、イスラム教などなど)の差をある程度理解しているつもりで、それでもやはり思った以上の文化の差に愕然とするような体験もしてきたが、このテレビドラマのこのシーンの『衝撃度』は『破格』であった。

母親が産気づいて、その母親が10歳の子供に指示して車を運転させ、事故るのである。
そして、ドラマの登場人物が、一人として不審に思わず、ほめたたえるんである。
「よくやったな。坊主!」
って。

赤ちゃんが、その場で緊急出産となって無事生れたから結果オーライだからなのか?

車は大破しているし、事故っているのである。
途中で誰かを轢いてたかもしれないぞ!

その後、父親が現れ、今度こそ少しは叱るだろうと思っていると、
「よくママを守ったな」
みたいな感じで息子をベタほめする。

「運転をどうやって覚えた」
と父親が訊くと、その子供は、
「ゲームさ」
と答え、一同、ワハハッハである。

…………。

この部分は、ちょっとしたサブストーリーなので、それだけであったが、私に与えた衝撃は激烈だった。

私は、そのとき、
「アメリカの様々な社会問題や、現大統領の人格や、アメリカンスタンダードなどについて、『一切わかりません』と言うしかない」
と心に決めた。

おそらく、私はアメリカ合衆国を、まったく理解していないに違いないのだ。

これはアメリカのドラマだったが、おそらく、こういう『誤理解(わかってたつもり)』が、私の中にたくさんあり、私はそれに気づかず、
「まっ、同じ人間だし…」
と思って、なんとなく理解したつもりになっていたに違いない。

これと同じことが、逆の流れで、『日本文化→外国』に中でも起こっているに違いない。

そう思うと、日々生きてる面白さは増したが、どこかでまったく相互理解できない文化感性があることに、私は絶望したのである


大袈裟だろうか?

アーメン!
南無阿弥陀仏!

(この話、おわり)

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2020年10月01日