アブドーラ・ザ・ブッチャー (オールド・プロレスファンなら、レジェンドでしょ!)
アブドーラ・ザ・ブッチャー |
人間の記憶(私の記憶限定?)はアテにならないと、つくづく思わされる。 アブドーラ・ザ・ブッチャーとシークが、(食器の)フォークでテリー・ファンクの上腕を刺して流血させ、会場が大荒れになり、熱狂的に盛り上がった伝説?の試合【全日本プロレスの『世界オープンタッグ選手権』の最終戦で蔵前国技館で行われたザ・ファンクスVSブッチャー・シーク組の戦い】がある。 この試合があったのは、私の小学生の頃のことだとずっと思っていたが、調べてみると、1977年12月に行われていた。 それなら私は、すでに大学生である。 弟と一緒に炬燵に入ってテレビ観戦した記憶があるから、帰省中だったのだろう。 ブッチャーもシークも、いわゆるプロレス技は一切出さない。打撃と凶器攻撃を含む反則で試合を組み立てる。 今、考えてみると、すごいな。 人が人を、ただ度突きまわしているのを退屈させず、観戦させてしまうのだからなぁ。 (誤解する人も多いが、プロレスファンの大部分は、ケンカそのものを観たいなどとは全く思っていない) 凶器攻撃のブッチャーは、その後、プロレス界を超えて悪役人気が爆発し、テレビCFにも出たりした。平成になっても、70歳を超えても、来日してたなぁ。 それから時が経ち、数十年後。ブッチャーの引退前の時期だと思う。 ある年のお盆、私は福島県の阿武隈高原パーキングに車を停めた。妻の実家に墓参りに帰る途中だった。 駐車場には大型バスが一台あり、【全日本プロレス】と書いてあった。 「おお!」 私は興奮した。 私は全日本プロレスを観て育ったからだ。 (新日本も好きだけどね) 車から降り、トイレに向かうと、トイレの前に一人の巨漢が立っていた。 それが、あのブッチャーだった! ブッチャーは、サングラスをかけ葉巻を吹かしていた。 ああ、まさしくブッチャーだ! ブッチャーも年をとり、インディー団体に出たりしていたが、また全日本プロレスに戻ってきたのか? もはやブッチャーは怖くない!(…はず) ブッチャーは日本が好きだし、奥さんも日本人の血が混じっているというし、CFでもお茶目なところを見せている。 そもそも彼は、【職業人・キャラクター】としてのプロレスラーなのだ。 凶暴ではない!(…はず) そんなことはわかっているが、私はどういうわけか、ブッチャーを目の当たりにして、 「握手してください」 が、言えなかった。 ものすごく、したかったのに。 私はブッチャーを恐れるように離れて歩き、チラチラと様子をうかがいながらトイレに入った。 それは私なりの、彼への【敬意】みたいなものだった。 私はなんとなくお腹が痛くなり、大のほうをしなければならなくなった。 トイレに座って、じっくり私は考え直した。 「おいおい、こんなチャンスはないぞ。引退したら日本にも来なくなるぞ。あのフォーク攻撃と地獄突きのブッチャーと握手ができるんだぞ!!」 私は急いで個室を出た。もちろん手は念入りに洗った。(一般常識・礼儀) 外に出ると全日本プロレスのバスは、ブッチャーを乗せて、すでに去っていた。 (このお題、完) |
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