世界コンピューター囲碁選手権大会【ソウル大学にて】  [2]


世界コンピューター囲碁選手権大会【ソウル大学にて】(2)

さて、肝心の大会そのもののことである。

このごろはすでに、囲碁のコンピューターソフトが世界のトッププロを打ち負かすようになっているが、当時(2001年)はまだまだソフトの実力は全然ダメであった。
コンピューターのCPUそのものの計算速度やメモリの量や、基盤の能力なども、今から見れば赤ちゃんレベル以下だっただろう。

そういう情況に中で、世界各国の囲碁好き、コンピューターでのAI開発好きの面々がソウル大学に集結し、開発した囲碁ソフトの優劣を競ったということである。

私は囲碁の基本ルールさえも怪しいくらいいの知識であったので、そこでコンピューター同士で戦われている実戦画面を見ていても、囲碁の対戦そのものは何がなんだかわからなかった。

どちらが優勢だとか、巧妙な手が出たとか、愚かな差し回しになっているとかが理解できないので、私は人間のほうを見ていた。

なまじ囲碁が理解できていたら、囲碁の対戦に集中して、その周りで一喜一憂している人たちのことを、そこまで観察できなったろうから、そのとき囲碁の知識がなかったことは良かったのではないかと、今は思っている。

そういうわけで、見ていて実に面白かった。【対戦内容ではなく、喜怒哀楽を表す人間のほう】が、である。

対戦はコンピューターをケーブルでつないで行う。
対戦が始まれば、後はコンピューター任せである。

ソフト開発者は、自分が作ったソフトが自分の作ったアルゴリズムでどういう手を打つのかわからない。もはや、じっと見ていることしかできない。

前述のの引用部分に書いてある通り、そのとき優勝したソフトが日本でのアマチュア2級程度と認定されたのだから、当時は最強の囲碁ソフトよりも、囲碁のプロ棋士でもないソフトの開発者である人間のほうが碁力は格段に上であった。

だから開発者が対戦を見守る心理というのは、囲碁の強いお父さんのようなものだった。
自分の子供(ソフト)に囲碁を教え、その子供(ソフト)の対戦をハラハラしながら見守っているようなものなのだ。

予選日は多くの対戦があるので、対戦は同時に同室で何局も行なわれていた。
参加者や大会役員などが、あちこち動き回って観戦している。

時々会場のあちこちで、
「あ、あ~!」
「ひぇ~!」
「げげっ!!」
「え~何で、そこに打つんだよぉ!」
という声が上がる。

(参加者は中国、韓国、日本、アメリカ、ヨーロッパと多彩なので、日本語に訳したら【たぶんそんなことを言っているのだろう】という雰囲気)

そうなのだ。
自分が作ったまだまだ碁力の低いソフトが、【とんでもない手(いわゆる悪手よりもヒドイ無意味な手)】を平気で打ったりするである。それも、あちこちの対戦で、優勝したプログラムも含めて、すべてソフトがである。

ひっ迫しているらしい囲碁の対戦の場合には、私は画面を見ても要点がわからず楽しめなかったが、それを凝視しながら一喜一憂する人間模様がすごく楽しめたのであった。

画面を見てその時点での優劣がわからなくとも、そこに座っているソフト開発者の顔を見れば、それがわかるわけである。

2日の激闘?珍闘?の結果、優勝は中国の Lei Xiuyu 氏の開発したプログラムであった。

私の不確かな記憶では、氏は北京大学の教授だったと聞いた気がするのだが、この記憶に全く自信はない。
細身の長めのボサボサした白髪の老人という感じで、仙人みたいな人であった。

優勝したソフトではあったが、そういう当時の最高峰の囲碁ソフトであっても、Lei Xiuyu 氏が対戦中に何度も何度も小さなうめき声を上げていたのを私は覚えている。
氏の囲碁の実力からすると、自分か開発しているソフトは、まだまだどうしようもないなぁ、ということだったのであろう。

将棋は既にAIのほうが、完全に強くなってしまった。
囲碁は、一流プロ棋士なら、勝てることはあるようだ。

そういう時代になってしまって、このソウルの大会を思い出すと、なにやら不思議な気がするのである。

(このお題、完))

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2019年02月05日