瀬戸内海沿岸の小都市で、私は育った。
育った家から汽水域の海まで、歩いて数分である。
小学生の高学年になると、安い投げ竿とリールのセットを買ってもらって、干潟を掘って採取したイソメやゴカイで魚釣りをするようになったが、それより幼いときは、落ちている枯れ枝や竹の棒を拾って、凧(タコ)糸みたいなものを先っぽに結んで、釣竿にした。
釣り針がないので、岸壁やテトラに自生している牡蛎を石で割って中身を取り出し、凧糸の先に結び付けて、それを潮の引いた浅い海に放り投げて、【どんぱぁ】を釣った。
【どんぱぁ】というのは、ハゼやその近種の幼魚で、だいたい5cm以内の小さくて黒っぽくて、ぬめぬめした小魚の俗称(広島方言)である。

幼い子供だから身体も小さいわけで、竿(枯れ枝など)は、ぜいぜい1m程度で、糸の長さも同じくらい。
なので釣り方というのは、すぐそこの目で見えている水面下で、じっとしてる【どんぱぁ】の鼻先に、その牡蛎をゆっくり沈めるという方法だった。
【どんぱぁ】は、イソメなどより牡蛎が好きだと思う。たぶんだけど。
【どんぱぁ】は、目の前の大好物の牡蛎をしばらく知らんぷりして、じっとしているけれど、ふわふわと水流で牡蛎の白い身が揺れると我慢できなくなって、パクリとその大きな口でかぶりつくのだった。
それに合わせて、さっと竿(枯れ枝)を持ち上げる。
針がないので、外れることも多いが、【どんぱぁ】は小さく軽く、大きな口で(自分の体に比して)大きな牡蛎の身を呑み込んでしまうので、そのまま釣り上げることができた。
エサの牡蛎は無数にあるし、【どんぱぁ】も、浅い海面下にあちこちにいて、いくらでも釣れるので、子供でも飽きてしまう。
【どんぱぁ】が食べれればいいのだけど、どういうわけか(小さくて、色がどす黒い個体が多いからだろう…)食べる対象ではなく、釣っては逃がしていた。
ハゼあるいはハゼ類(あるいはアイナメ類なども?)なので、食べれるとは思うが、あたりの海に自生する牡蛎と同じで、食べようと思ったことはなかった。
牡蛎と言えば、広島は牡蛎の名産地だけど、私は牡蛎を幼少時からそのように扱っていたので、今でも生牡蠣は食べない。
だって、それは魚のエサなんだから…。
牡蛎フライは、ときどき食べるけど。
というわけで、【どんぱぁ】は、私にとって、10歳くらいまでの釣り遊びの相手だった。
ほんとうに、懐かしいやつら!
海辺で育った私は、そこそこの釣り好きの大人になり、一時期、東京湾の埋め立て地の巨大テトラの上での夜釣りに熱中した。
先の細い5mくらいの竿でメバルの狙うと、小型魚でも引きが楽しめるし、電気ウキがゆらゆらと夜の海に沈んでいくのが、何とも面白かった。
メバルのほかに、アイナメ、カザゴ、スズキ、クロダイなども釣れた。
ある夜、近くのテトラで釣っている人が帰り際に、私に声をかけた。
「いっぱい釣れたから、少し分けようか?」
私もそれなりに釣ってはいたが、せっかく声をかけてもらったので、彼の釣果を見せてもらうことにした。
彼の獲物は、私の釣っていたメバルより、ふたまわり大きなサイズばかりだった。すぐ、隣で釣っていたのに…。
私が驚いていると、彼は、
「きみは、イソメで釣ってるだろ? 俺は金魚や小さいハゼを餌にする。生餌だと、大きいのがくるんだ」
と、種明かしをした。
「金魚はペットショップで買うんだが、今日のハゼは自分で海で獲ったやつだ。余ったからやろう。これで釣ってみなさい」
彼はそう言って、大きなメバルを数尾と、まだ生きている生餌のハゼをくれた。
ハゼは、小型電池ポンプで酸素(空気)を送って、生かしてあったものだったから、まだ元気に動いていた。
彼が去ったあと、私はもらったハゼを懐中電灯で照らして、じっくり見てみた。
「あっ」
生餌にするためのものなので、要するに【小さい幼魚のハゼ】だった。
小さなハゼ…。
そう、懐かしいアイツではないか!
「あぁ、これって【どんぱぁ】じゃん」
私の中に、子供のころの瀬戸内海と、海で遊んだ懐かしい思い出が湧き出した。
この懐かしき【どんぱぁ】を、釣りエサにできる?
できるわけないよなぁ。
いくらこれで、大物が釣れるんだとしても…。
私はもらった【どんぱぁ】を、すべて海に逃がした。
大きくなったら、江戸前のハゼとして釣り上げて、てんぷらにして食べてやるぞ。
じゃ、またな!
…である。
近くの夜空に、羽田に着陸しようとしている飛行機が、数機、浮かんでいた。
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