ボス猫捕獲大作戦 [1] (3代目のタマをいじめるボス野良猫を排除せよ!)

ボス猫捕獲大作戦(1)

悠々と歩く巨体。(デブ猫に見えるが、実はすごい筋肉質!)
毛があるため見えにくいが、顔や身体に大きな傷があちこちにあったりする。
そして、その毛並みが少し小汚い。

ヤツは、人間を見ても慌てることはない。
チラリとこちらに視線を向けてこちらをさっと観察し、特に何もしないだろうと思えば、プイッと元の方向に顔を向けて慌てず騒がず歩き去る。

どの町や村のどの地区にも、立派な風貌と態度物腰で猫世界を仕切っているようなヤツがいる。そういう猫を誰でも時々街角で見たことがあるだろう。
そう、野良のボス猫である。

ヤツらの柄や顔つきや体型はそれぞれ異なるが、ボス猫ともなれば、どいつもそれぞれ個性的だ。

私が中学生の頃にも、近所にそういうボス猫がいた。白黒柄だった。

遠目から見ても、その辺の猫より一回り以上デカイ。
私はヤツを【ヨコヅナ】と名づけて、(私は猫ではないが)そいつに一目置いていた。

三国志風に言えば、
『人中に呂布あり、馬中に赤兎あり、猫中に【ヨコヅナ】あり!』
というところである。

ん~、かっこいい!

だが…。
あるときから、その【ヨコヅナ】が、我が家の愛猫である【タマ】をいじめ始めたのであった。それもかなりこっぴどく残忍さを感じるほどに、である。

可哀想なことに、そこから温室育ちの我が家のタマの傷だらけの人生が開幕してしまったのである。

きっかけは(おそらくだが)『猫の春(俗的にいうと【さかり】)』だったと思う。
そう、オス猫の本能の叫びである『恋人(メス猫)探し』だ。

私が代弁するのもおかしなことだが、いや、それほどおかしくもないのか…。
春先にオス猫が奇妙な声を発して鳴き歩くのは、彼ら自身にも(たぶん)どうしようもできないんである。
DNA的な種の保存のためのことで、なにやら妖しいホルモンが体内で発生しているに違いなかろう。

そうオス猫の意志ではない。要するにDNA的な要請(欲求)が完了するまで、そのホルモンは出続け、その間のオス猫は、かわいこちゃん猫を求めて鳴き歩く【制御不能の鳴きまくりマシン】なんである。(生命体だけど…)

その夜も、我が家のタマは、おかしな発声をしながら夜の巷に、恋人募集に出かけていた。おそろしいくらいの必死さであった。

夜も更けたころ、家の外で凄まじい猫の悲鳴?があたりの空気を震わせた。
「あ、ウチのタマの声だ!」
私にはすぐわかる。
(同居猫なら当然のこと。我が家では猫は飼うのではなく同居と定義していた)

心配して窓から外を覗いていると、我が家のタマが猫なのに脱兎のごとく裏の戸口から家に飛び込んできた。
昔のことでもあり防犯意識も低く、猫が自由に出入りできるよう、家の裏の戸は十数センチほど開けてあった。

そのときのタマは地獄で閻魔様に出会ったような形相であった。
経験上わかるのだが、ようするにケンカに負けて逃げ帰ったわけである。

タマは私には目もくれず、そのまま猛スピードで部屋の奥のタンスの横の隙間に駆け込んでいった。
タマが飛び込んできたとき、私はすぐに気づいたが、タマは恐怖でおしっこを漏らしながら逃げ帰ってきた。もう部屋は、タマのおしっこの噴水で、大変なことになっていた。

そして、それに続いて同じ裏戸から一匹の猛獣が走りこんできた。
その猛獣は私がそこのいることを察知すると、ピタッとその場に停止し、私のほうをじっと凝視した。【ヨコヅナ】であった。

この【ヨコヅナ】が、タマを何かの理由で制裁して追ってきたことは確実であった。
私はすべての猫が好きである。だから【ヨコヅナ】も無条件で好きである。
だが、物事には順位というものがある。
私にとって、タマは【ヨコヅナ】よりだいじで可愛いのだ。

その愛するタマが巨大な猛獣【ヨコヅナ】に、ボロボロにされて逃げ戻ってきた。
私は反射的に手近の新聞をくるっと丸めて武器とし、【ヨコヅナ】に向かって突進した。
それを見て【ヨコヅナ】はさっと身を翻し、戸の向こうに消えた。

私がヤツを追って外に出ると、【ヨコヅナ】はいつでも退避できるように身体は逃避体勢のまま、頭だけこちらに向けて爛々と光る眼で私を見ていた。
憎いほど落ち着き払っているし、息一つ乱れていない。

やっぱ、かっこいいぞ、【ヨコヅナ】!

そう感じてしまう私であったが、タマをボコったことは許せない。
私が怒り心頭で追おうとすると、ヤツはさっと暗がりに溶け込んで消えてしまった。

タマはしばらく物陰に隠れたままで、私の呼びかけにも姿を現さなかった。
小一時間もしてから、タマは「ニュアー」と悲しそうに鳴いて、私の横に来た。そして身体を舐め始めた。顔と足から出血していた。

顔は引掻かれたらしいが、足は逃げ回っているときに何かにひどく当たって、体のあちこちを負傷したようだった。
壁にぶつかり、溝に落ち…というように逃げまわったはずだから、おそらく見えない打撲は身体中にあるはずで、とても不憫な姿であった。

ところが本能というものは恐ろしいもので、傷も癒えない痛々しい姿なのに、翌日もタマは恋人を求めて夜の町に出て行くのである。
タマも家にいたいのだが、身体のどこからか湧いて出るホルモンが、彼をじっとさせないのだ。

私はタマの傷を気遣い、戸を開けずにタマを閉じ込めようとしたのだが、タマは家の中でミゃーミャーと狂ったように鳴くのである。

私にはタマの痛々しい傷も不憫だったが、その必死の声も(同じ男同士だからか?)不憫でもあり、戸を開けタマの好きなように出かけさせるしかなかったのだった。

(つづく)

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2018年07月02日