対談<003-8>イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その8


ゲスト グノーシス・佐藤・シンチャイ
略歴 イタリア系オランダ系日本人。北海道厚岸で生まれ、仏教タイで育ったブッディスト。米国留学中に、ブロードウエイで、ロックオペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観たことからキリスト教と仏教の二股信仰となる。1966年からタイの大学で教鞭をとる。1970年にタイ人の妻との結婚を機に、妻の「雪が降る所に住みたい」という希望で日本に帰国。現在、日本仏法キリスト大学学長。著書多数。74歳。

イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その8

  れ=れたす、G=ゲスト
あ、すみません。話を戻しましょう。
神はイエスを説得するほど優しくないということは、神はたんに、
「お前は死ぬのだ。そう私が決めた。逃れるすべはないのだから腹をくくれ」
って感じで、説得ではなく宣言しただけだということですね。
G そうです。
イエスはそもそも(後世から現在において)教義上は神なのだし、死んでも復活するのだから、
「おまえは磔になるぞ!」
と神に教えられても、本来は動じないと思いますけどねぇ。
先ほども言いましたが、教義上でのイエスの位格は、あとで宗教会議などで決めていったことなのです。
なんにせよ、
「なんだ、俺は死んでも復活するのか」
と確信があって行動していると、人間的なところがなくなって同情や共鳴ができなくなりますから、イエスは磔前までは煩悩のある人間でないといけない。
【人間ができていない】、あるいは【まだただの人間だから】、磔されて死ぬまで、神のことを信じてない?
G ええ。
天使たちに迎えられて昇天して、天上の神のもとで目覚めて、神がイエスに、
「私のことを疑っていたろう?」
って声をかけられて、
「あれ、俺って生きかえってる」
となって初めて、
「ああ…神の言うことは、ほんとなんだ!」
って信じた。(笑)
論より証拠。
親鸞がある人に、
「本当に極楽はありますか?」
と聞かれて、
「わかりません。法然さんがそういうので、多分…」
と答えています。
また、何かで読んだのですが、ある高名なカソリックの神父さんが、
「神の国はありますか?復活はできますか?」
と信者さんに聞かれて、
「私にもわからないんです。わからないまま修行しています」
と答えたという話があります。
確信があって、あるいは確信を与えられて信じるのではなく…。
G 確信がなく、不安な状態にあるのが、人間という存在。
だから、イエス役のテッド・ニーリーは…。
悩み、困惑し、運命を恨んで、絶唱することになるのです。
  (つづく)

 


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2018年12月08日