【広島弁55】「そぎゃーに」 そんなに
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広島弁(安芸弁~備後弁)~岡山弁(備中弁)講座55
【そぎゃーに】 そんなに
本日のナビゲーターも、トロップ・ワトソンです。
これ以前にも、【こぎゃ~に(講座22)】が取り上げられているのに、今回【そぎゃ~に】を取り上げるなんて同じでしょう?と、思われる方もおられるはず。
でも、これにはわけがあります。
ちょっと語りたいことがあるので、今回【そぎゃ~に】をピックアップしたのです。
実は前々から気になっていました。
備後弁の、『xxxぎゃ~』『xxxにゃぁ~』。
具体的には、
【こぎゃ~に(こが~に)】【あぎゃ~に(あが~に)】【そぎゃ~に(そが~に)】【いちぎゃ~に(いちが~に)】【わきゃにゃ~(わけなぁ)】
ちょっと違いますけど、
【行きょ~るん(行くとこなん)】【何しょ~るん(何しとるん)】
など、妙に言葉を伸ばすところ…。
「見た?」
「見ゃ~せん(見とらん)」
なども、なにやら奇妙。
通俗的なイメージでは、『にゃ~』『ぎゃ~』って、名古屋弁でしょ、これ?
しかしながら、名古屋の人が、
「みゃ~とか、ぎゃ~とか言わん!」
と書いてあるのを読んだことがあります。
どうもそういうのは、名古屋弁というより、三河弁らしいです。
ただ、わたしトロップは、量子コンピューターを搭載していますけど、内蔵された言語データベースにあるのは、『(いわゆる)標準語』と『備後弁(広島弁)』だけですので、『三河弁』という素晴らしそうな言語について解説することができません。
そこで調べると、福山藩(広島県福山市)の初代藩主が、水野勝成(徳川家康の従兄弟)であり、元三河刈谷藩主。
そして、その水野氏の後、松平氏を短期間だけ挟んで、幕末まではこれも三河が故郷の阿部氏が160年間、大名でした
そう、福山10万石は、江戸時代に広島県の大半を統治していた浅野藩(浅野氏の故郷は近江滋賀)とは、藩主の故郷が違うのですねぇ。
福山市は、広島県東部の中堅都市。
このサイト主宰者の【れたす】なども、三原市で過ごした青少年時代には、遠い広島市まで行くより近くの福山市へ電車で行っていたとか。
余談ですが、【れたす】の実家は、三原市のお好み焼き店。
【れたす】の肉体は、完全なる『備後風お好み焼き』で成長!したという、お好み焼きに関しては、猛者!
尾道市、福山市の備後地方のお好み焼きは似ているけれど、広島市(安芸地方)のお好み焼きを初めてみたときは、「ん?」と言う違和感を持ったほどに広島県内でも安芸地方と備後地方では文化が異なっているのです。
その福山藩を、三河が故郷の水野氏と阿部氏が長く統治していたので、備後地方の方言に影響したらしのです。
江戸期の大名は、鉢植えと同じで、土の上の植物(大名とその家臣団)を植え替えるように、国替えをさせられました。
その場合、地元民に比べて数は少ないとはいえ、その地方の方言とは違う方言をしゃべる家臣やその家族や、職人や商人などが相当数移り住んでくるので、言葉への影響はあったようです。
身分、職能的にも、彼ら一団が上級者たちですし。
とはいえ、他所から来た大名の一団と、地元民の言葉はダブル・スタンダード(バイリンガル)になって、地元民の言葉は、さほど影響を受けずそのままということも聞きます。
また、大親分の徳川氏が三河出身なのだから、日本にはその子分たちである三河出身の大名はあちこちにたくさんいます。
そういうところでも、三河弁の影響を受けて、『にゃ~』「ぎゃ~」と言うのかどうかは、わたしにはデータ不足でわかりません。
ただやはり、江戸時代260年の長きにわたり、ほぼ三河出身の大名に統治された福山藩の、備後弁に対する影響は大きかったのでしょうと想像します。
だから、備後人は、
「そぎゃ~なこと、わかるきゃ~!」
と、今日も ”xxゃ~!” と、叫んでいるのでしょう。
標準語 | 広島(備後)弁 |
---|---|
そんなに | そがーに (そがぁに、そぎゃぁーに) |
そんな | そがーな (そがぁな、そぎゃぁーな) |
<会話例1>
標準語 広島備後弁 |
---|
え? お金持ってないの? そんなにだいじなこと、レジの前で言うの。 ↓ え? 金なぁんか? そぎゃ~にだいじなこと、レジの前でよ~るん。 |
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