このYouTube動画は、2時間以上ですので、タイムテーブルをどうぞ。
(主要部分は、切り抜き動画にして公開予定)
【10分40秒〜】
・アタックフォー(任天堂バレーボールの原作)と雑誌広告の紹介
【12分20秒〜】
・MSXでのゲーム開発について
・アタックフォーから任天堂バレーボールへ
【13分30秒〜】
・私の中学生時代のバレーボール熱が、バレーボールゲームを創る原点
【17分30秒〜】
・私の故郷『三原市』とバレーボールのこと
【20分〜】
・私が最初に使ったPC-6001の話
・PC-6001のデビュー作『水平視点野球ゲーム』での成功
【24分〜】
・PC-6001関連で、『タイニーゼビウス』の松島氏の話
【26分〜】
・その他の私のゲーム
⇒『くるくる』(パックスソフトニカ)
⇒『TAMATAMA』(ボーステック)
・ボーステック関連の話
【28分40秒】
・浅草橋にあった任天堂さんの話
・私が去ったあとのパックスソフトニカの話
・市川さんの経験〜任天堂さんとの仕事の話
【31分〜】
・任天堂バレーボール移植担当者、橋下氏の話
・オホーツクに消ゆ、バドミントンの天才プログラマー中島成巳さんの話
【32分40秒〜】(※主要部分)
・パックスソフトニカに裏切られて、ゲーム界に絶望した話
・自分がその頃開発したゲームも見たくなくて、全部捨てて、38年間、ゲーム界から無関係な人生になったこと
【35分15秒〜】
・任天堂バレーボールが、すごく売れた話
・WWEのASUKA(華名)の話〜プロレスの話
【38分〜】
・任天堂ゲームや日本におけるスポーツとしてのバレーボールの話
【41分30秒~】
・任天堂バレーボール成功のロス旅行
⇒ CESの話〜ATARI
⇒ グランドキャニオンの4人写真
⇒ ダウンタウンで迷子の話
【51分40秒〜】
・ロス旅行の帰国時、いけないものを買ってきて、成田空港税関で全員が個室で取り調べられた話
【54分30秒〜】
・市川さんの通関税関の思い出
⇒ 海外イベントで、ピンボール(実機)の盤面を何枚も買って手荷物で通関でもめた話
【61分~】(※主要部分)
・パックスソフトニカと私の契約の話
⇒ 原作のMSXアタックフォーは、一人で開発(私は完全なフリーランス)
・パックスソフトニカ(イマージュソフト、パックスエレクトロニカ)の成り立ちの話
⇒ パックス関連人物の話
・パックスソフトニカは、親会社パックスエレクトロニカにお金を吸い取られて潰れかかってた話
⇒ パックスソフトニカを救うために権利者の私が許可し、橋下氏にバレーボールと、バレーボールゲームの構造を教え、楽しく共同開発をしてた頃の話
⇒ ファミコン版ができても、製品として売る資金がないので悲観していた話
・ファミコンのロム製品の話
【72分〜】
・浦山氏が任天堂に営業に行って、バレーボールゲームが任天堂ブランドになった話
・市川さんも、直に任天堂さんに売り込んだ話
【74分30秒〜】
・ファミコンのロムのゲームを商品化するたいへんさの話
⇒ディスクシステム
⇒サテラビュー
・マスクROM製品の怖さ
【79分40秒~】(※主要部分)
・任天堂ブランドになって以降の話
・任天堂ブランドで開発するときのありがたさ
⇒ 開発機材の提供、仕様やスペックの情報共有・情報提供、開発中に出てきた問題点をともに解決してくれる
・宮本さんのこと(私との共同ディレクター)
⇒宮本さんのアイデアがファミコン版の演出にかなり入ってます。
【83分30秒〜】 (※主要部分)
・パックスソフトニカに騙された話
⇒ 契約書がもらえないので、パックスソフトニカに居残って開発に従事
⇒ 任天堂バレーボールで得たお金は、会社が勝手に使っていたこと
・私を絶望のどん底に落とした『小切手事件』とは?
・契約書などない??
⇒ ならば、パックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)には移植する権利がないので、パクリになるという逆説
【88分45秒~】
・6年前の、ウィキペディアに情報無し
・市川さんと橋下さんの出会いの話
【90分40秒〜】
・販売終了になった、同人誌『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』の表紙のこと
【91分20秒〜】
・初めてXで、『MSXアタックフォー』を紹介した時の話
・ウィキペディアの内容が皆無のこと
【93分〜】(※主要部分)
・原作者でディレクターの私が、パックスソフトニカに騙されたこと
・橋下さんが、自分の本やインタビューで、私のことを話してない(話せない)こと
・バレーボールの収入をパックスソフトニカ(エレクトロニカ)が勝手に使い込んだ話
⇒ 私の権利とお金を奪って、私を脅した、パックスエレクトロニカからやってきた立本氏のこと
【97分30秒〜】
・ゲームとお金の話
【106分~】(※主要部分)
・ゲーム開発者としての自分の人生を裏切られて脅されたトラウマで言えなかった、40年。
⇒ ゲーム開発者だったこと、宮本さんと仕事したことも沈黙していた、私の人生のこと
・MSXアタックフォーと任天堂アイスホッケーのキャラクターは宮本さんのお気に入りという話
・大好きなバレーボールやゲームの話題が、私の家庭内で40年も禁句になった話
■『オホーツクに消ゆ』のこと■
【110分〜】
・ファミコン版オホーツクに消ゆ、の話
・Xでの炎上の話
【114分30秒〜】
・北海道でバイトしていた話
・知床羅臼岳からオホーツク海を見た経験
⇒ オホーツクに消ゆ、で、デジタイズすることになる運命?
【118分40秒】
・エニックス(すぎやまこういち先生、福島社長さん)の話
・ドラクエの話
・ゲーム音楽の話
【127 分〜】
・市川さんが、少年時代からのゲーム観を語る
【130分20秒〜】
・私が、PC-6001を買って、NHKドキュメントを見て、ゲーム開発者になる話
・ゲーム黎明期のゲーム開発者とは?の話
【137分20 秒〜】
・8カ月前にゲーム界に復帰した、私。
・イベントなどからは卒業し、ゲーム界とは緩やかに関係するつもり
【139分〜】
・まとめ
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