器が小さいとか大きいとかは、入れ物(人格、人としての懐の深さ)の容量のことでもあるし、その出入り口の大きさのことでもある。
『清濁併せ呑む』
という言葉がある。
『度量が大きい」という意味である。
『基準があいまい(…あるいは、ない)』ということでもある。
度量の大小で有名な対比は、劉邦と項羽なのかな。
まあ、中国のギャング団の抗争(皇帝争い)なんて、オジサンくらいしか興味ないだろうけど、最近は【歴女】というジャンルもあるらしいけど。
劉邦は、何でも受け入れる(ように演技した)ので、人材が集まったと分析されている。
項羽は身内びいきで、物事の善悪に厳しかったから人望がなかった、と言われている。
これを日本で言うと、
秀吉が劉邦的で、信長が項羽的なのかな。(武勇ではなく、性格のこととして)
西郷さんが劉邦的で、大久保利通が項羽的なのかな。(これも性格的なこととして)
と分類して、それぞれを見ていくと、
「なんか、そうじゃないだろ。そうとも言えないだろ。全然逆の面もありそうじゃん」
って感じになる。
まあ、
『親分がおおらかな性格(器が大きい)で、ブレーンが細かい(器が小さい…規律好き、計画好き)』
という、【劉邦→䔥何、張良】みたいなほうが組織はいいんだろうな。
その逆…、
『親分が細かくて、ブレーンが野放図』
なんて、恐ろしい。
ん?
『親分も、ブレーンも細かい組織』?
それは軍隊。
ん?
『親分も、ブレーンも野放図な』組織?
政界。
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