つぶやき<001-1>何も知らない 1
考えてみれば、【そこらへんにある何十年も見ている草木の名前が皆目わからない】、と言うことに気づいた私は、『草木図鑑』を買って、トイレに配置した。 私は、トイレで本を読む人間なので、そこにおいておき、その写真と名前と(ついでに解説)を見ていれば、数か月数年後には、草木に関する情報が増えるはずだからである。 私は、ビルの谷間のコンクリートの世界で育ったわけではない。子供の頃は、草むらも小川も海も山も近くにあった。その中で遊んでいた。 だから、身近にいた生き物の名前はわりと言えるような気がする。 昆虫とか、爬虫類とか、魚類とか、鳥類とか。 まあ、ほんとに一般的で身近なものだけだけど、なんとなく名前(名称)を言えそうな気がする。 釣りが好きだったので、大人になってからも、『魚図鑑ハンドブック』みたいなのをトイレに置いておいたから、魚はだいたい判別できる。 が…、草? 樹木? う~ん、確かに、なんかわからない気がする。 松みたい、桜の木みたい、杉みたい、檜みたい、どんぐりの木みたい、イチョウみたい(…イチョウだけ…)、イチジクは葉が特徴的だから…。ポプラは街路樹…。 カエデとモミジの違いは? 柿や栗やリンゴは実が成ってなくとも、その木だとわかるのか? 本は読むから、木の名称は【言葉】としては知っている。 楠(クス)、樟(クス)、栃(トチ)、桂(カツラ)、樫(カシ)、椨(タブ)、欅(ケヤキ)、楢(ナラ)とか。 ところが、実物のイメージがさっぱり、わからない。 木の姿の見当もつかない。葉っぱの見当もつかない。 こんなことがあるのだろうか? ん~、実際にある。私は、わからない。 なんてことだ…! 何年、この世界に生きているのだ? 何度も登山もしたし、山菜も獲ったし、ピクニックもしたし…。 なのに、ずっと樹木を見てきて、まったくそれらの名称を意識したことがない…。 木は、『単に ”木” でしかない』のだ。 街中や電車の中などで、私の周りに多数の人間が存在しても、顔も見ないし気にも留めない、まして名前など知る手立てもなければ、知りたいという意志もない。 そういうことなのか? 雑踏は雑木林で、雑木林は満員電車なのか? それは、なんか…違うだろうなぁ。 (つづく) |
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