お盆の迷子風物詩 (山と田園風景の広がる妻の実家あたりで、方向音痴の私は帰宅困難者に…)

お盆の迷子風物詩

お盆に妻の実家へ、初めて車で帰省したときのことである。
(これもナビや携帯電話のない時代のことです)

首都高、常磐道、磐越東線と地図を見るまでもない主要道路を使っての帰郷であるし、高速出口を降りてからは妻の地元であるから、妻がナビゲートする。
方向音痴の私でも、妻の里には問題なく帰郷できるのである。

その妻の実家は福島の阿武隈山系にある大自然の残る田舎にあり、春に私は土筆を採取して食べたりして、実家の人々を驚かせていた。そのあたりでは、土筆は食べないらしい。

そのときはお盆であった。
夕方前、妻が高校時代の友人に会いに行くから車で送れと言う。

「私はいろいろ話したいし泊まるかもしれないし、泊まらなくても車で送ってもらうから、あなたは私を降ろしたら、そのまま先に家に帰ってて」
ということだった。

行く時に、遠回りでもわかりやすい市道や町道を通ればよかったのだが、そこは妻の幼少期からの庭のような地域である。
妻の指示で、なにやらわけのわからぬ細いクネクネした農道を通り、田んぼや用水路に落ちそうになりながら、妻の友達の家に着いた。
「じゃあね。帰れる?まあ来た道をそのまま戻るだけだから」
と妻は友人宅に消えた。

「そのまま…?」

おそらく妻にとっては暗闇の中であっても、懐中電灯で道さえ照らせば、さらさらと帰れる道なのであろう。
しかし、私にとっては初体験の迷路でしかない。

とはいえまだ日も高かったし、距離も数キロのことである。どうやったって帰れるだろう、と私は自分を信じた。(いつものように誤信した)

戻り道の途中までは、さすがに私も地形や道順を覚えており問題なかった。
「そう、ここここ。ここ通ったぞ」
とか言いながら…。

が、気がつくと数時間が経過し、あたりは暗闇となり、私は見知らぬ山中を走っていた。
対向車さえ来ない。

「ここはどこだろう?」
よくある、私の緊急事態である。

山中とはいえ、ところどころに地名を書いた標識などはある。
私は車を止め、地図を出す。

「ややや、実家から10数キロ離れている…。いつのまに…」
この程度のことで私はあわてはしない。いつものことだからだ。
とはいえ、これでは帰れない。

地図を確認(実際は誤認)し、
「おそらくオレはこのあたりのこの道路を、この方向に向いて走っている(のだろう)」
と(すごく誤った)見当をつけて、また走り出す。

だいたいは、そういう見当そのものが間違っているので、いつまでたっても目的地には近づかない。
山中に民家はない。
が、走り続けているうちに灯りが見えるときもある。たいがいが飲料の自販機である。

人家がないのに自販機がある。
それは私には日本という国のある側面についての新しい発見だったが、残念なことに、そのことは、とりあえず帰宅には何の役にも立たない。

人家も全くないわけではいが、暗闇に沈んでいる見知らぬ家である。
この夜に玄関をノックし訪ねて道を聞くという気も起こらない。
(本当は訊くのが正解だが…)

数時間走り回っているうちに夜も9時近くになってしまった。すでに5時間以上走り回っている。異常である。異常であるとわかっているがどうしようもない。
私は、そういう人なのだ。(と開き直るのみ)

ぐるぐる、当てもなくさまよっていると、前方にひどく明るい家が見えた。近づくと商店である。
その商店は盆だからか、夜も遅いのに、まだ営業しているようで戸口を開けており、人影も見える。

これなら道を訊きやすい。
というか、もはや遭難しないためには、ここで道を訊くしかなかろう。

私は車を降り、その店に入った。
一人の中年女性が、奥のほうに座っていた。

「あのう、すみません。道に迷ってしまって」
「あ~ら、たいへんだこと。どこさ~帰んだい?」
「ここがどこかわからないのでご存知じゃないかもしれませんが・・・」
と、私は妻の実家の地区名と苗字を言った。

「ありゃ~!あんた、あそこのぉ?」
「はい、そこの長女のダンナです」
「ええ?○○○ちゃんちの?こりゃたまげた。お~い」
と、その中年女性は家の奥に声をかけて誰かを呼んだ。

すると、ずらずらと数人が出てきた。

「ほら、この人、○○○ちゃんのダンナだって。ほらぁ、あいさつしてぇ」
「○○○ちゃんの同級生の◇◇◇です」
「その弟です」
「その下の弟です」

なんだ、これは!?

あとでよく聞くと、その商店は妻の同級生の家だったとわかるのだが、そのとき私は妙な成り行きにあっけにとられていた。
それでも、
「はじめまして。私がダンナです」
などと言って、初めて会った人たちと挨拶をかわした。

妻の実家は、その商店のある山の反対側にあることがわかったのだが、私がまた道に迷ってはいけないということで、妻の実家に電話をかけてくださり、妻と義兄が車で私を来た。

「帰ってこないと思って心配してたら、ここでなにしてんの?」
と妻があきれ返っていた。
そんなこと言われても・・・である。

私は義兄の車の後ろについて実家まで戻った。
ほんの5分の距離だった。

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後日談がある。

私は翌年のお盆にも、妻の実家に帰省をした。
そして一人で車に乗って買物に出かけて、また道に迷った。

そのときも5時間くらいぐるぐる迷っていたが、前年より事態が悪かったのは真っ暗の山中で燃料切れランプが点灯してしまったことだった。

「もはやこれまで。今回は山中の車中泊だ。明るくなったら車も通るだろう」
と覚悟した。
「でもまあ、走れるところまでもう少し走ってみよう」

(思い出しながらこの文を書いていて、自分が本当に変なんじゃないかと真剣に心配になった。私は毎年、いったい何をしているのだろう?)

半ば以上やけくそで走っていると、暗闇の中にひときわ明るい場所があった。
近づくと小さな商店である。

(ここですでに気がついた読者もおられようが話を続ける。私は本当にまったく気がついていなかった)

「おお、助かった。店があった」
私は車を降り、店に入った。

「あらぁ~!」
「げっ!」
「おっどろいたぁ~。なんだべぇ~、今年もまた来たのかい~?」

デジャヴ…。
2年続けて迷子になり、同じ店に…。

2年連続で迷子(私)を迎えに来た妻の実家では、もはや伝説…。

(このお題、完)

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2019年01月17日