【1986年のバレーボールゲーム】<ゲーム界の健全な未来>&<あるゲーム開発者の名誉回復>のために

1986年のVBG<創作者と移植者>
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関連YouTube配信情報
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■ 1986年のバレーボールゲーム ■
(任天堂バレーボールをめぐる本当の話)

<過去は変えられないが、正すことはできる >

【2026年11月】
■ 本谷と橋下氏のトークイベント開催予定■

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
【基本的な事実と問題提起】
ファミ通インタビュー
【2026年のYouTube配信】
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
<ファミコン版バレーボールの創作者は、本谷浩明>
【本谷浩明(HONTANI hiroaki)】
● 本谷は、フリーランスのゲーム開発者である。
■ 本谷は、原作バレーボールゲーム 『MSXアタックフォー』 単独開発者である。
■ 本谷は、バレーボールをコンピュータゲームとしてプログラミングして、その構造を考案確立した者である。また当然ながら、本谷が権利者である。
■ 本谷は、 ファミコン移植作業 における最上位の指導監修者である。
■本谷は、彼の考案したバレーボールゲームをファミコンに移植することで、 倒産の危機にあったパックスソフトニカを救った 。
■その本谷の行動は成功したが、その巨額の収益に目がくらんだ、立本氏と橋下氏は、本谷を裏切った。
 裏切りの内容は、
 『本谷とパックスソフトニカとの契約書の勝手な無効化』
 『バレーボールゲーム収益の流用(背任?横領?)』
 『フリーランスの本谷と、正社員坪井氏への脅迫』
などである。

【橋下友茂(HASHISHITA tomoshige)】
橋下氏は、なぜ、
『本谷浩明』と『MSXアタックフォー』
のこと、そして、
『当時のパックスソフトニカ』のことを
語れないのか?
↓
●橋下氏は、パックスソフトニカの社員(役員)。
■橋下氏が嘘をつく理由は、過去の不正隠しのためである。
■ 橋下氏は、任天堂バレーボールの創作者ではない。(その証明はここ)
■橋下氏は、本谷の指導と監修の下で、本谷が単独開発した原作ゲーム『MSXアタックフォー』を、ファミコンに移植する作業を請け負ったプログラマーである。
Retasu's House れたすはうす
■橋下氏は、長年にわたり『ファミコン版バレーボールゲームの作者が橋下氏という虚偽』を、インタビュー、著書(同人誌)、YouTube出演、トークイベントなどで意図的に広めてきた。
■橋下氏は、その反面、インタビュー、著作、YouTube出演、トークイベントにて、以下の事実を、ほんの一部の例外を除き、ほとんど話していない。
それは、『橋下氏が任天堂バレーボールの作者という虚偽』を世間に知られることを恐れているからである。

 <橋下氏が言及できない、任天堂バレーボールについての事実の一部は、以下です>
 ☆原作ゲーム『MSXアタックフォー』の存在
 ☆原作者でファミコン移植ディレクター(本谷)の存在
 ☆パックスソフトニカの社長であり恩人である田村氏の存在
 ☆パックスソフトニカの収益を流用した、契約や権利を私物化した立本氏の存在
 ☆当時のパックスソフトニカの仲間や仕事の話

  など…。その他の点は、別の個所でも書きます。


【宮本氏の存在】を無視する非礼
<任天堂の宮本氏の大きな関与さえも隠す橋下氏>
(Hashishita refuses to even discuss Nintendo's Miyamoto's significant involvement.)
『ファミコン移植版バレーボールゲーム』は、私(本谷)の指導下でパックスソフトニカ(の橋下氏)がプログラム作業していたわけだが、浦山氏の働きで、『任天堂版』になってからは、任天堂さん(主に宮本氏)のアイデアが盛り込まれた。

たとえば、<選手キャラの大げさな腰振り>は、私の原作ゲーム『MSXアタックフォー』のキャラの腰振りが宮本氏のお気に入りだったからである。
それが後に『任天堂アイスホッケー』のキャラの原型になったくらいだったのである。

ファンが興味を持ち知りたい、そういう情報を橋下氏は、同人誌でもインタビューでも、YouTube出演でも、トークイベントでも、一切話さない(話せない)。

橋下氏は『シシララTV(YouTube』に出演したときに、この『腰振りキャラ』のことを質問され、「私(橋下)がTVで(試合を観て)考えました」
と、とんでもない嘘を真顔で平然と言い、私の存在、私の原作ゲームの存在、宮本氏がファミコン版バレーボールのキャラの腰振りに強くこだわった事実を伏せ、自分の手柄にしている。

橋下氏による、まったくの虚構で、宮本氏にもたいへん失礼である。

こういう嘘を、20205年になって知ったことが、私が橋下氏の40年の嘘を追求しようと思った大きな理由の一つである。

■ 実際は、橋下氏は、宮本氏と直に話すことは少なかった。
原作者で監修者の私(本谷)が、ほとんどのことを宮本氏と相談して、その結果を橋下氏に伝えていたからである。
■橋下氏の本やインタビューやトークイベントに、開発時の宮本氏とのやり取りが出てこないのは、橋下氏が私(本谷)の監修下で作業をしていたからである。

【株式会社パックスソフトニカ】
【株式会社パックスエレクトロニカ】
の不正行為。
● パックスソフトニカは、パックスエレクトロニカの子会社であるが、長年、親会社パックスエレクトロニカに不当に搾取されていた。この会社体質が、任天堂バレーボールの権利や利益の扱いにおいて、不正を生んだのである。このことは、橋下氏もインタビューや著作で何度も言及している。
●パックスソフトニカの立本氏と橋下氏は、本谷浩明(バレーボールゲーム構造の考案者。ファンミコン移植版バレーボールの指導監修者)を騙し(お金の不正流用。契約書を作成しない)、また脅迫して、権利と報酬を奪い取った。
■パックスソフトニカは、任天堂さんに対して、ファミコン版バレーボールゲームについて虚偽の権利情報を伝え(詐欺行為?)、不正な利益を得た。

確認しておきます。

この『ファミコン移植版任天堂バレーボール』
の『創作者は誰か?問題』は、

ゲーム界でよくある
ゲーム開発に関わった複数の人間のうち
『誰が創ったか? 誰に権利があるか?』
というような
聞きなれた『内輪揉め』ではありません。

【任天堂バレーボールの創作者は、
本谷浩明(HONTANI hiroaki)です】

橋下友茂氏は作者ではありません!

この事実を、橋下氏はこれまで、
私に会ったときも、私に送ったメールでも
一切反論していません。
どうにも隠せない事実だからです。

その私が、とんでもない事件…、
パックスソフトニカという会社による
明白な不正(不法)行為に巻き込まれた。

ということです。

かなりダークな話ですが、
楽しく、まじめに、明るく、
覚悟を持って、当事者の私(本谷)が
説明しますので、よろしくお願いします。

誰が、『任天堂バレーボール』の
本当の創作者なのか?
40年におよぶ、虚構とは?
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
===========================
この人名表記は、正しくありません!
===========================
【移植プログラム担当者 の名前】だけが
表示されています。

橋下友茂氏は、
私(本谷浩明)依頼と指導監修の下で
移植を担当したプログラマーです。
ここに単独で名前が記載されるべき
”創作者”ではありません。
これは、パックスソフトニカによる
任天堂さんへの虚偽報告です。
■ なぜ、橋下氏の名前が表示されているか? ■
この異様な事態を、私が説明します。

このゲーム画面への橋下氏の個人名表記は、
私がパックスソフトニカを離れた、すっと後で
行われた改変ですので、
2025年から始まった短期間の私自身の調査と
1986年当時の私が明確に知る事実から、
可能性の高い推測(橋下氏と立本氏の手打ち?)を
をに含みます。

もちろん、この推測を事実にするために、
橋下にも対談(2026年11月予定)で質問しますし、
これから、具体的な調査もしていきます。

【小切手事件と脅迫によって本谷を追放
したのちの、立本氏と橋下氏の関係】
立本氏は、橋下氏を取り込んだものの、以前のように収益(お金)は、ほぼ勝手に流用し続けた。(背任? or 横領?)
このことは、橋下氏の書いたもの、話したもの、最近のトークイベント、私との直接の会話からも、ほぼ明らか。

【立本氏と橋下氏の取引】
(1986年当時に私が実際に見聞したjことと、その後の調査による推論)
橋下氏は、お金がもらえないことに不満を感じ、立本氏の勝手なお金の流用を指摘することになり、立本氏は橋下氏の告発を恐れ、橋下氏に、『任天堂バレーボールに関する権利と名誉』を与えることで、手打ちをした。
任天堂さんとの契約などは、(橋下氏が私へのメールでも述べているように、また当時のことを知っている私の推測でも)、立本氏が仕切っていたことから、
立本氏が、任天堂さんに虚偽報告(本谷ではなく橋下氏が作者という虚偽)を押し付け、それがゲーム画面に表示されるという”異様な”事態となった。
この件に関連することとして、私は、元パックスソフトニカの社員の方から証言を得ており、それによると、
「橋下さんは、『ゲーム画面に、俺の名前を出すのは苦労したんだよ。普通じゃないからさ』と、いつも自慢されていました」
とのことである。

このあたりは、橋下氏は、私へのメールで、
「お金や契約のことは、私(橋下)は何も知りません」
と断言されており、矛盾している。

(この点は、橋下氏に直に質問する機会もあるだろうし、あるいは、橋下氏と共に任天堂さんを訪問し、調べてみたいと考えている。何しろ、私が第一当事者なのだから)


『橋下氏の名前だけ表示』という奇妙な事態については、
創作者である本谷の権利と名誉のために、
今後、適切な対応をしてまいります。
再確認しておきます。
↓
私(本谷浩明:HONTANI hiroaki)が、
『任天堂バレーボール』の創作者です。
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
では、なぜ、長年にわたり、
『任天堂バレーボール』について
正しい情報が隠され、虚偽が流布されたのか?

第一当事者の私(本谷浩明)が、これから語ります。

<ポイント>
■ 不正により消された本当の創作者(本谷) ■
『任天堂バレーボール』の本当の原作権利者(ゲーム構造創作者)で、宮本さんと共に、ファミコン版の移植ディレクターだった、完全フリーランスの私(本谷浩明:HONTANI hiroaki)が、どのようにして、その権利と名誉を奪われたのか?
1986年~パックスソフトニカという会社で、どういう不正があったのか?
なぜ、約40年の後になって、これが書かれているのか?

<客観的な資料と解説>
当時の写真、その後の公開インタビュー、
当事者らの同人誌の記述などをもとに、
冷静に客観的に、詳細に解説します。

Retasu's House れたすはうす
遠い昔…1980年代半ば。
楽しかった青春のゲーム開発の日々。

眠気やバグと闘いながら、
ドット絵を作り、コードを書いた。
考えて悩んで試して、何度も暴走するプログラム。

ふぅ~…そうやってフリーランスとして
独自に創った念願のバレーボールゲームは、、
権利者の私(本谷)による移植許可と、
ゲーム構造開示と、全面的監修で、
その移植版が、任天堂ブランドになった。

「やったぞ!おれ!!」

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
協力会社のパックスソフトニカと
一緒に行った、ラスベガスCES
グランドキャニオンで、ぬか喜び大爆発!の本谷くん。
(1987年1月13日 橋下氏撮影)

Retasu's House れたすはうす任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
これほど親密あり、バレーボールゲームの創作者であり、
最重要人物である私(本谷)について、
橋下氏は、なぜ言及できないのか?
それが、この物語のキーーポイントです。

このあと…私(本谷)は、裏切られ
天国から地獄へ真っ逆さま
そう!

私(本谷)は、のちにレジェンドとなる
任天堂の宮本さんと仕事をし、
もっと、もっと一緒に、
もっと面白いゲームを創るぞ!
と、希望に満ち満ちていた。

ところが…

何年も協力していた懇意の会社
パックスソフトニカが、
契約書も作らず、勝手にお金を使い込み…。
私を騙して、脅迫までした過去…。

任天堂バレーボールの歴史に汚点が…。

そう…約40年前に、
私、トンデモナイ目に遭ったわけでして。

私(本谷)がそのことについて沈黙し、
開発者人生を失うかわりに、
任天堂バレーボールは世に出ました。

時は流れ、2025年
”あの不正の続き”が、まだあったとは…。
事の発端は、
1986年に、2つのバレーボールゲームが誕生!
したこと。

移植版の『任天堂バレーボール』は
世界で何百万本も売れました。

そのバレーボールゲームの正しい歴史を
創作者であり、移植版ディレクターである
私(本谷浩明)が、

長く隠されてきた闇の深さに負けないよう、
明るく、覚悟を持って、お伝えします。

では、はじめましょう。

健全なゲーム界の未来のため、
そして
私(本谷浩明)の名誉回復のために。

【正しくない人名の表記】
解説編
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
あ~、私の許可と指導で移植をした橋下氏は、
なんと、ちゃっかり、
任天堂バレーボールの創作者に成りすましたのか…。

コンプライアンスは、 大丈夫なのだろうか?

パックスソフトニカが、その不正により、
任天堂さんの名誉とコンプライアンスを
汚していたことを、私は知りました。

私があの時、
バレーボールゲームが潰れることを覚悟して、
パックスソフトニカの不正を糾弾していれば…。
そう、私には、パックスソフトニカの不正を
放置してしまった責任があります。

このゲーム画面の人名表示は、明らかに、
『パックスソフトニカによる虚偽報告』
ですから、
当事者の私は、強く深い憂慮を持ちました。

これについては、原作者&ディレクターとして、
正式にしかるべき方法で確認を行います。
それが、私(本谷)の権利であり義務ですので。
その準備として、これを書いています。

Retasu's House れたすはうす
  橋下氏は、創作者ではありません
橋下氏は、原作権利者である私(本谷)
の全面監修下での移植担当者です
1 私(本谷)と橋下氏は、フリーランスとパックスソフトニカ役員という、異なる立場ではありましたが、友人であり、ともに、イマージュソフト~パックスソフトニカのつながりで、ゲームを開発したこともある”仲間”でしたから、私は彼をよく知っています。

橋下氏は、私(本谷)の創ったバレーボールゲームをファミコンに移植することに消極的でしたし、橋下氏は、バレーボールをゲーム化するオリジナルな基本仕様を『自発的に』自分で考えたこともありません。

そもそも橋下氏は、バレーボールの知識はなく、関心もまったくありませんでした。

バレーボール大好き人間の私(本谷)が、パックスソフトニカに持ち込んだ、原作の『MSXバレーボール(販売名:アタックフォー)』に、橋下氏は興味さえ示しませんでした。

2 橋下氏の本やインタビューで、「自分(橋下氏)が創った」かのように騙っているのは、『(任天堂バレーボールゲームをめぐる)小切手事件』の後、私(本谷)を裏切って創作者に成りすましたので、そのために必要になった『虚構』です。

私(本谷)の原作ゲーム持ち込みからファミコン移植までの経緯については、橋下氏の本やインタビューに具体的なことが何も書いてありません。
また、当時のパックスソフトニカの社内のこと、人間関係などにも橋下氏は触れていません。

原作権利者で移植監修者である私(本谷)のことに触れている部分も、故意に曖昧にしているようです。

橋下氏が隠している『事実(任天堂バレーボール画面のタイトルに、一人、橋下氏の名前だけを出せるような創作者ではない)』が世に知られることにつながる内容を、彼は書けないのでしょう。

3 フリーランスとして活動していた私(本谷)とパックスソフトニカの協議(本谷、田村、橋下)で、ファミコン開発経験のあった橋下氏が移植担当者となりました。

(※このときは、まだ立本氏はパックスソフトニカに直に関わっていません。元々、立本氏はゲーム開発には何の興味もなく、立本氏が直にパックスソフトニカに乗り込んできて、私(本谷)に関わってくるのは、ファミコン版が任天堂ブランドとなり、開発部隊が任天堂との契約に必要となり、任天堂バレーボールによる”より大きなお金が動く”ようになってからです)

私(本谷)が創って、いつものようにパックスソフトニカに持ち込んだ『MSXアタックフォー』をもとに、原作者の私からゲーム構造説明を受け、完成までずっと監修を受けて、ファミコンへの移植プログラムを作ったのが橋下氏です。

このあたりの正確な経緯を橋下氏は語れないので、橋下氏の文をそのまま読めば、
『パックスソフトニカ(橋下氏)は、勝手に私(本谷)のゲームをパクり(不正移植)ました』
と言っていることになります。

私(本谷)は2025年に、橋下氏のインタビューや本の発言を読み、
「これはマズい。私(本谷)の存在をスルーして語っている。これでは、パックスソフトニカが勝手に不正移植したように世間に受け取られる」
と思い、橋下氏のために、Xの投稿で何度か、
「私(本谷)がちゃんと移植許可を出して監修しましたよ」
と、書いておきました。

とはいえ、
『私(本谷)の任天堂バレーボールゲームにおける権利(原作者、ゲーム構造考案者、移植依頼者)』
や、
『ファミコン移植における、私の働き(ゲーム構造開示指導ディレクター、原作者として、任天堂さんとの仕様打ち合わせ…Etc.』
などに対して、パックスソフトニカは、約束を守らず、ほとんどなんの支払いもせず、知的権利も奪った、ということを世間の人々は全く知りませんので、私のX投稿での『気遣い』については、何もわからなかったでしょう。

(注)
パックスソフトニカ(橋下氏も)にも、任天堂さんにも、バレーボール経験者が居なかったので、ゲーム原作者としてだけでなく、バレーボールというスポーツ監修者としての立場も私(本谷)にはあり、
『全体演出は、任天堂さん』
『バレーボールというスポーツの調整は、本谷』
という役割分担でした。

4 橋下氏は、任天堂バレーボール開発に関する事実を語っていませんが、
移植者として功績はありますし、優れたプログラマーであることは、数年間、一緒に仕事をしていた私は知っています。

橋下氏が私を裏切ることになる、一つの要因は、
親会社のパックスエレクトロニカは、その当時常態的に、子会社のパックスソフトニカの仕事に対してにお金を渡さず、パックスソフトニカ(橋下氏)は困窮していました。
(橋下氏自身の発言)

このパックスエレクトロニカの金銭感覚の杜撰さが、複数の人間の人生を間違った方向に捻じ曲げた、と言えるでしょう。
ですから、私はこの『1986年のバレーボールゲーム』の文章で、『パックスエレクトロニカ』のことも書くでしょう。

親会社パックスエレクトロニカの不義理で生活にも困窮していた橋下氏を盛り立て協力し、倒産しかかっていたパックスソフトニカを私(本谷)が救いましたが、その私が、そのあと”彼らに”、とんでもない裏切りをされ、その後もそれが継承されるという ”負のDNA”が、もともとパックスエレクトロニカにあったわけです。

私(本谷)は、パックスグループに『大金と任天堂さんとの繋がり』をもたらしたので、フリーランスでありながら、パックスソフトニカの”部長(フリーランス)”にもなったわけです。

けれど、私(本谷)の”部長待遇”は、立本氏が他のことで使い込んだお金を”なあなあ”にするために私を懐柔する方策でもあり、橋下氏には面白いはずもないし、私に報いる気もなく、結局は、 橋下氏は困窮していたため、立本氏と組んで、お金のために、任天堂バレーボールの創作者であり権利者である私(本谷)を裏切ります。

そして、現在に至るまで、
『(橋下氏が)任天堂バレーボールの作者』という嘘で生きています。
全てを知っている、当事者の私としては、本当に悲しいことです。

橋下氏は、私(本谷)が依頼した、任天堂バレーボールの移植担当者ですが、
ゲームの創作者ではありませんから、
ゲーム画面に単独で橋下氏の名前が表示される理由はありません。

この誤謬を正すことが、今後の私(本谷)の活動の基本指針となります。

  ↑

Retasu's House れたすはうす
結 私(本谷)は社員ではなく、
完全なフリーランス開発者で、
私が開発した『MSXアタックフォー』を、
パックスソフトニカに持ち込み、
それが、私の許可と指導監修のもとで、
ファミコンに移植されました。

(任天堂バレーボールゲームをめぐる)小切手事件
の不正により、それが意図的に隠されてきましたが 、

私(本谷浩明)が
任天堂バレーボールの創作者です。


  ここまでの、まとめ
A パックスソフトニカやパックスエレクトロニカ(それらを引き継いだ組織あるいは個人)が、『任天堂バレーボール』に関する権利を不正に行使してきた。
B 私(本谷)が移植を許諾し、私の原作ゲームをもとに、私(本谷)の指導監修…任天堂ブランドになった後は、私(本谷)と宮本氏が共同ディレクター、で移植をしたプログラマーである橋下氏が、長年、『任天堂バレーボール』の創作者に成りすましてきた。
  Retasu's House れたすはうす
C 1988年の
『(任天堂バレーボールゲームをめぐる)小切手事件』
を契機に、

パックス(ソフトニカ、エレクトロニカ)
(あるいは、その後継組織や個人) が、

創作者やその諸権利に関する虚の説明を 、
任天堂さんにしてきたため、
ゲーム画面に正しくない人名表示がされた、

と、私は考えていますので、
調べていくつもりです。

  反論反証、ご質問、お受けして公開します。
どしどしお送りください。

私の思い

ゲーム業界では、
『誰が権利者か?誰が創作者か?』
という紛争は珍しくないそうですが、

この『任天堂バレーボール』の件は、
そういう話ではありません。

これは世界企業となった任天堂さんの
ブランドで出されているゲームの話です、

私(本谷)のバレーボールゲームを
ブランドにしてくださり、
移植開発時に、たいへんお世話になった
大好きな任天堂さんの名誉のため、
任天堂さんが、パックスソフトニカの不正と
無関係であることを明確にするとともに、

ゲーム史のためにも、社会正義のためにも 、
本当の経緯が広く世に知られ、
過去が正されなければならないと考えます。


【もう一つの大きな疑問 】
パックスソフトニカが、原作権利者である
私(本谷浩明)を”消した”手段の解明
私(本谷)は、フリーランス開発者として、バレーボールをMSXでゲーム化し、任天堂バレーボールの原作者として、宮本さんと共に移植ディレクターをしました。
後に、そのご縁で、『任天堂アイスホッケー』でもディレクター補を務めました。

私(本谷)はフリーランスでしたが、社長の田村氏との友誼もあり、私のバレーボールゲームで、そのとき潰れかかっていたパックスソフトニカを救ったことで、『社外部長』にもなりました。

バレーボールゲーム原作者&移植ディレクター、そして『フリーランス部長』という立場で私(本谷)は名刺も作ってもらい、社員さんの結婚式に出たり、任天堂さんとも交流していました。

その私(本谷)が、『小切手事件』のために、任天堂さんに挨拶もできず(※できなかった理由は連載で書きます)、パックスソフトニカから突然に姿を消すことは、とても不自然なことでした。

「バレーボールの原作者の部長の本谷さんは、どうしました?」
と、任天堂さんは、不審に思って質問されたはずなのです。

私(本谷)は、『任天堂バレーボール』の原作者で、ディレクターであり、『任天堂アイスホッケー(中島氏がメインプログラマー)』でも、パックスソフトニカに窓口として、宮本氏のディレクター補を務め、任天堂さんに対しては『パックスソフトニカの(社外)部長』として仕事をしていたからです。

『私(本谷)の離脱』について、パックスソフトニカから任天堂さんに、どういう説明がされたのか?

パックスソフトニカの暗い体質から考えて、
『私(本谷)に関する虚偽の説明を任天堂さんにした。それは私の名誉を傷つけるものであった可能性がある』
という、私は強い危惧を持っています。
そういうことでなければ、私が突然姿を消した理由を合理的に説明できません。

その事実確認をふくめて、【私(本谷)の名誉回復をせねばならない】
という思いで、これらを知った2025年から活動しています。

このことも、これから実際に関係者(会社と個人)に取材し調べます。
Retasu's House れたすはうす
『任天堂バレーボール』の原作ゲーム
が、こちらです。
この当時、この形式でバレーボールゲームを開発したのは、私が世界初でしょう。
この『MSXバレーボールゲーム(アタックフォー)』は、
本谷浩明が、すべて1人で作業して完成させました。

重要なことですので、強調しておきます。
原作ゲーム『MSXバレーボール(アタックフォー)』は、
パックスソフトニカ(橋下氏)とは全く無関係に、
私(本谷 Hontani)により創作されました。

1985~86年、私はパックスソフトニカで、
ファミコン版への移植のために、宮本氏との打ち合わせ、
移植担当の橋下氏への指導監修をしながら、
この原作ゲームの最終調整(プログラミング)も
していましたので、超多忙でした。

『MSXアタックフォー』は、パックスソフトニカから、
任天堂バレーボールに半年早く(1986年春)に、
発売されました。
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
【MSXバレーボール】
開発者 :『本谷浩明』(単独)
販売名 :『アタックフォー』
受託販売会社:『パックスソフトニカ』
開発期間: 『1984~85年』

YouTubeでの紹介は、こちらで観れます

  (親会社)パックスエレクトロニカ
および
パックスソフトニカ
(その後継会社or個人)の不正
の説明ポイント
④ 親会社パックスエレクトロニカの不正体質(橋下氏自身の証言)
立本氏が、私(本谷)に無断で任天堂さんと契約をし、入ってきたお金を勝手に流用(パックスエレクトロニカ、パックスソフトニカという会社の話としては、背任や横領に近い行為の可能性??)。

 ⇒ 私(本谷)も橋下氏も、おかしなお金の動きを知ってはいて、話し合っていたのだが…。
  ↑ お金のおかしな流れについては、パックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)の社内問題にすぎませんので、フリーランスの私には、当時、どうしようもありませんでした。

強く抗議はしましたが、結局パックスソフトニカと自分を護るため、役員の橋下氏は、立本氏の不正に与しました。
私(本谷)には悪夢であり、残念無念なことでした。


↓ ただし、次のことは対外的(任天堂さんにも関わる事象)なことであり、私が当時、そしてその後も沈黙してきた理由の一つです。
⑤ 『小切手事件』(原作権利者の本谷を排除)
お金を流用したことを私(本谷)に追及され、パックスソフトニカの危機を助けた私(本谷)を裏切り、脅す(家族を含めて、身の危険も…)という行為に至った。

 ⇒ パックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)は、
ファミコン移植版バレーボールゲームの権利に関して、
『権利はパックスソフトニカあるいはパックスエレクトロニカにあるという虚偽説明』
で、任天堂さんと契約した。
(詐欺的手法の可能性??)
↓
これが当時、私(本谷)がパックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)の不正のことを任天堂さんに言えなかった要因の一つです。
このことで騒ぎになれば、バレーボールゲームは発売中止になるのではという危惧が、私にありました。
それは避けたかったのです。

  ↓
私(本谷)のゲーム開発者人生・キャリアの崩壊 。
当時は絶望感と体調不良…。
長年消えぬトラウマ。
Retasu's House れたすはうす
⑥
パックスソフトニニカとその後継組織or個人による、不正な権利行使と創作者の隠蔽と成りすましは、2026年現在も継続中。

  任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
パックスソフトニカについては、ここで説明


 
1986年発売の
■ 2つのバレーボールゲーム情報 ■
任天堂バレーボールの原作は
【MSXアタックフォー】
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
(開発者:本谷浩明)
(委託販売先:パックスソフトニカ)
YouTubeは、ここで観れます

Retasu's House れたすはうす
そして、その移植ゲームが
↓
Retasu's House れたすはうす任天堂バレーボール
(原作者・移植許諾&ディレクター:本谷浩明)
(移植作業請負:パックスソフトニカ)

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
2つのバレーボールゲーム
発売日と関連会社
私(本谷)はフリ―ランスでしたので、自宅作業もしましたが、
この2つのバレーボールゲームは私のゲームですので、
一時期は同時進行でしたが、
原作の『MSXアタックフォー』が
先に発売(開発完了)されたのち、
私は移植版のディレクターに専念できました。
MSXアタックフォー 任天堂バレーボールの直接の原作ゲーム
発売日 1986年春
開発者 本谷浩明
(単独開発、フリーランス)
受託発売会社 パックスソフトニカ
権利者 本谷浩明

任天堂バレーボール 本谷浩明の許諾とゲーム構造指導監修で移植された。
発売日 1986年7月21日
移植請負開発者 パックスソフトニカ
(← 本谷浩明のゲーム構造指導による)
移植協力会社 任天堂
(仕様技術指導、ゲーム演出指導)
発売会社 任天堂
(契約形態は不明。本谷にはパックスソフトニカから、全く説明がないまま)
ゲーム構造考案者
原作権利者
移植ディレクター
本谷浩明
作業を行った移植プログラムについては、パックスソフトニカにも権利があるが、それ以外には、本谷が何らかの権利をパックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)に委譲した契約書や、それに関連した契約書も一切存在しないまま、任天堂さんと契約が行われ、その収益は、パックスエレクトロニカとパックスソフトニカで無断で流用された。

【私とパックスソフトニカ】
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明(注)
『TAMATAMA』(ボーステックのコンテスト作品)は
私の開発者としての歩みとして入っています。

Retasu's House れたすはうす

Retasu's House れたすはうす

バレーボールゲーム以前に私が
パックスソフトニカで委託販売した
作品については、こちらを参照

結婚記念日旅行で、できるだけ近郊の温泉宿に一泊するのだが、そういう時に、ふと話したりすることがある。
「あのときオレが、パックスソフトニカの不正を追及して権利をちゃんと持ってたら、毎年、海外旅行してたかもねぇ」
「そんなことしたら、任天堂バレーボールは、つぶれて世に出なかったんでしょ?」
「うん。あんな酷い不正を糾弾してたら、大騒ぎになってただろうなぁ。脅されてて、身の危険も感じたし」
「いいのよ。私たちは正しく生きてるから、モヤモヤはあっても、私たちに、人として、心に闇はないでしょ」
「闇か…」

妻は、パックスエレクトロニカ(移籍⇒)パックスソフトニカの社員だった。
その後私たちは結婚したが、その式にパックスソフトニカの仲間は参列してくれた。

それが、私たちには、何より嬉しかった。

私は今も、時に思う。

『闇の中に居続け、その感覚で行動している”彼ら”は、自分たちが”闇の中”にいることがわからない。その闇の中こそが彼らの居場所であり、価値判断の基だからだ。彼らには闇が普通すぎて、意識せず”平然と”して、生きていける』

けれど、
かつて闇に酷い目に遭った側の者は、その”闇”のことを考え続けることになる。
とんでもなく理不尽だからである。

「なぜ、あんなことができるのか?」
「あれは、いったいなんだったのか?」
と、理不尽さをクリアしたいのだ。

【”闇”は、被害者の心のほうこそを蝕む】。

だから、
【”闇堕ち”しないこと】を夫婦で、時に確認しながら生きているのである。

そう。
一番いい方法は、忘れてしまうこと
すべて、”なかったこと”に?

が、”闇”のほうは、なお”闇らしく”活動を続けていたのである。

Retasu's House れたすはうす
【ご協力・ご支援のお願い】
ご意見、ご質問、取材、YouTube出演などは、オープンに受け付けています。
もちろん、私は、本名、顔出しで語ります。

どしどし、メール、DMをください。

できる限り、お答えします。
私の知らない事実などで、私にお答えができないときは、一緒に考えましょう。
また、各方面に問い合わせて調べて、その疑問を解きたいと思います。

(注)
登場する社名の株式会社や有限会社の表記は略しています。
また、パックスソフトニカとパックスエレクトロニカが経営体として一体化している部分が多く、区別して語る意味がない場合もあります。
大雑把には、パックスエレクトロニカが親会社として契約や資金を握り、パックスソフトニカは『開発部隊』ということになるでしょう。

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本谷浩明(HONTANI hiroaki)

【注】他言語に翻訳されたとき、"MOTOYA" は間違いです。
1986年のVBG<創作者と移植者>
1986年のVBG<項目別Index>
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