<親会社>パックスエレクトロニカの闇

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ブラックな親会社

ゲームには無関心、お金のことだけ。

子会社は生かさず殺さずの

パックスエレクトロニカ

この項は、
(B)-④ 
親会社『パックスエレクトロニカ』の闇
の解説
パックスエレクトロニカ(立本氏) が
子会社・パックスソフトニカ の
収益を奪い続けて、不正に流用しており
橋下氏が困窮していたことが、

『小切手事件』を起こす要因
パックスエレクトロニカは、親会社
Retasu's House れたすはうす
「ブラックな会社なんて珍しくもない」
と、思われるでしょう。

そのとおりです。

パックスに限らず当時のゲームバブルは、
ある部分は、もう無茶苦茶でした。

けれど、これは世界的ヒット作
『任天堂バレーボール』
の話なのです。

ゲーム史として、今後の教訓としても、
記録されなければならないでしょう。

Retasu's House れたすはうす
坪井氏は、この後すぐくらいに、子会社のパックスソトニカに移籍します。
そして、その数年後、私と結婚することになります。
よって、彼女は、パックスエレクトロニカとパックスソフトニカの両方を知ってます。
そのため遠い昔のことではありますが、私の元に当時の写真があり、二人ぶんの記憶が残っているわけです。

右端で、ひょうきんにポーズをとっている浦山氏は、任天堂バレーボール史や、パックスソフトニカ史では重要な人物ですが、彼のことは全く知られていません。
浦山氏は、のちに私のMSXバレーボールゲームや移植途中のファミコン版を任天堂さんに持ち込む『功労者』です。

彼はフリーランスであり社員ではないのに、この写真のパックスエレクトロニカの社員旅行だけでなく、パックスソフトニカの社員旅行にも行っていることなどでおわかりのように、私とも妻(坪井氏)とも、知り合いでした。

そもそも、浦山氏が蛮勇?で、任天堂さんに営業に行かなければ、『任天堂バレーボール』は、おそらくこの世にないか、かなり違った形で世に出ていたと思います。

その浦山氏が、権利者の私がないがしろにされていることを心配してくれて、そのアドバイスが私の決起となり、『小切手事件』に発展します

『小切手事件』は、同人誌『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』(販売終了)のクライマックスとなる場面です。この連載の中でも解説するつもりです。

立本氏は、パックスエレクトロニカの関係者(会計担当?、債権者?)であり、この後の『ファミ通インタビュー』で橋下氏が、
「…私やパックスソフトニカにはぜんぜんお金が入ってこなかった」
といっている頃からの、ブラック体質の張本人だと、私は考えています。

立本氏が、パックスソフトニカに乗り込んできてからのことは、私は実際に見ていますので、その時期からのブラック体質の張本人であることは、間違いありません。
私は、立本氏自身から、日々、任天堂対策や、資金の流用(六本木のお店とか…)を聞かされていました。
私を部長にして懐柔し、任天堂バレーボールの権利やお金のことを、うやむやにするためでした。

私は社員ではなく、外部のフリーランスですので、知っていてもどうしようもなく、役員の田村氏や橋下氏に相談しましたが、どうにもなりませんでした。

橋下氏がインタビューで書いていること(後述)は、私が実際にパックスソフトニカで部長として立本氏と数年間かかわった経験と一致しています。

さて、この写真の『原社長』さんとは私は面識があったと思いますが、よくは知らない方で、坪井氏(妻)に人柄は聞いていました。
パックスエレクトロニカのブラック体質に、彼もなんらかの関係あるのかどうかは、私にはよくわかりません。
基本的には、『パックスソフトニカにおける田村氏の立場』のようなものが、『パックスエレクトロニカにおける原氏の立場』だったのではないかと推測します。

さて、写真に戻って。
原社長を知っていた浦山氏から聞いた限りでは、やはり原氏ではなく立本氏が経営不振のパックスエレクトロニカ(後には子会社のパックスソフトニカも)を仕切っていたと思われます。
そして、それが私の『大不幸のもと』になるわけです。

立本氏という人は、彼に従って、彼の味方になれば『良い人』。
筋を通そうとして彼の敵になれば、『容赦ないところがある恐くて悪い人』でした。

立本氏には、私の人生を壊されるほどの目に遭わされるわけですが、それがなければ…橋下氏のように、私が彼の不正に目をつむり彼に従っている限りは、気さくなよさげな人でした。

そのあたりは、また『パックスソフトニカという会社』の項で書きましょう。


橋下氏の酷い裏切りの原因
パックスエレクトロニカのブラック体質
ということを、彼自身の
『ファミ通インタビュー』で確認しましょう
Retasu's House れたすはうす
(ファミ通インタビュー 2020年9月14日での発言)

【橋下さんの発言】
いや、それがですね……。これは親会社のパックスエレクトロニカに契約を任せていて、そこにいろいろあったみたいで、結果だけ言うと私やパックスソフトニカにはぜんぜんお金が入ってこなかったんですよ。

【当時を知る本谷の回想と解説】
橋下氏が、私にもたびたび、
「仕事をしたのに、パックスエレクトロニカからお金をもらえない」
と愚痴っていましたので、気の毒に思っていました。

私は、パックスソフトニカとは懇意だったとはいえ、フリーランスで部外者ですので、パックスグループの内情は、よくわかりませんでした。
ただ、その惨状を知っていたので、田村氏や橋下氏と相談して、
「MSXバレーボールゲームをファミコンにして勝負をかけよう!」
ということで、何作も私の作品を委託販売をしていただいて、お世話になっていたパックスソフトニカの窮地を救うため。私が移植許可を出し、バレーボールのことやゲーム構造を、知識のない橋下氏に詳しく説明したのです。

私が中心人物なのです。

Retasu's House れたすはうす
(ファミ通インタビュー 2020年9月14日での発言)

【橋下さんの発言】
私は実家を出て1983年に家を借りたんですけど、2年後の更新料をギリギリ払ったもののつぎの家賃がもう払えなくて。
追い出されてからは会社に寝泊まりしていました。
パックスソフトニカも給料が払えないので社員にほとんど辞めてもらって、私と、社員ではなくフリーランスの人がひとり出入りしているだけになりましたね。

【当時を知る本谷の回想と解説】
橋下氏の回想で、全般的にいつも不思議に思うのは、イマージュソフト⇒パックスソフトニカを立ち上げた『田村氏』が全く出てこないということです。
ここの『フリーランス』というのは、私なのですが、私は『田村氏との友誼のため』もあり、『誰もいなくなった、潰れそうなパックススフトニカ』に律儀にも、『小切手事件』で裏切られるまで、すっと協力を続けていました。

なんとか、パックスソフトニカを助けたかったのです。
なぜなら、私のゲームの委託販売会社のパックスソフトニカが潰れてしまうと、おおごとなのです。
ですから、友誼だけでなく、私のゲーム開発者人生にも影響があったからなわけです。

その後、私は私のバレーボールゲームの移植許可を出す決意をし、そのゲーム化のノウハウを全て公開し、ファミコンに移植する総合ディレクター(任天堂ブランド決定後は、任天堂さん…主に宮本さんとのやり取り…共同ディレクター)として頑張ったのも、そのような事情と心情が合わさっていたからでした。

まさか、お金に目がくらんで、そういう私を裏切る流れが待っているとは、思いもしませんでした。

Retasu's House れたすはうす
(ファミ通インタビュー 2020年9月14日での発言)

【橋下さんの発言】
まぁ、当時の話としてはよくある話なんですよ(笑)。
親会社のパックスエレクトロニカは経営がけっこう悪かったみたいで、そっちに持ってかれちゃったんですよね。

【聞き手の発言】
1985年ってファミコンソフトを出せばそうとうに売れた時代ですし、その親会社の方はけっこう儲けたんじゃないですかね?

【橋下さんの発言】
詳しくは知らないんですけど、だいぶ儲けたでしょうね。
親会社は後々に潰れてしまうのですが、ファミコンソフトの契約で得ていたものも最終的には負債にあてられたのかなと思いますよ。

【当時を知る本谷の回想と解説】
私は当時、そういうことを田村氏や橋下氏に聞いていましたが、社外の人間なので詳しい内容はわかりませんでした。
(後で、自分でも現場で体験し、もっと詳しく聞きました)

当時のパックスソフトニカは、親会社に騙され、絞り上げられ、利用され、捨てられるところだったので、暗かったことを覚えています。

ところが、ファミコンに移植したバレーボールゲームが任天堂ブランドになったため、
「これは、うまい汁が吸える」
と、パックスエレクトニカ(立本氏)が、バレーボール開発とは何の関係もないのに、それまでと同じパターンで、お金も権利も勝手に奪っていくわけです。

橋下氏と私は、立場は違いますが、
橋下氏は、『パックスソフトニカ(橋下氏にも)にお金が入らない』
私は、『権利者なのに、契約書もらえず、お金も入らない』
ということで、いっしょに憤慨し、立本氏に対抗しようとしていたのですが…。

Retasu's House れたすはうす
(ファミ通インタビュー 2020年9月14日での発言)

【聞き手の発言】
『バレーボール』の発売が決まったことで、橋下さんの生活は改善されたのですか?

【橋下さんの発言】
ですね。親会社がマンションを借りてくれて、そこに住むようになったんですよ。

【聞き手の発言】
おおー、よかった。
それにしても落差がすごいというか、任天堂さんも持ち込みROMを見てすぐに採用して気前がいいというか。
すごいですね。

【当時を知る本谷の回想と解説】
任天堂さんに、移植途中のファミコン版バレーボールを持ち込んだ経緯(浦山氏の活動)は、とても面白いと思うのですが、橋下氏の本やインタビューで、まったく語られず、スルーされています。
それは、そこを話すと、彼にとって、いろいろ不都合なことが出てくるからです。

不都合というのは…、
橋下氏は、このインタビューで自ら語っているように(私はそれを見て知っていました…)彼はとても困窮していたため、お金やマンションを提示されて、立本氏側につき、私を裏切ることになります
自分が何年にもわたり、パックスエレクトロニカからされていた『開発者に報酬を支払わない』ということを、今度はその側に味方して、私という社外の協力者に対して、同じことをしたわけです。

 ⇒ 小切手事件

その部分を決して語れないということです。

<本谷による、より詳細な解説>
橋下氏は、コミュニケーションが苦手な人でしたので、私は立本氏と橋下氏、他の社員と橋下氏をつなぐ役割もしてました。

また、橋下氏と私は数年来の付き合いのあり、私がパックスソフトニカの危機を救うために、私の『MSXバレーボール(アタックフォー)』の移植を許諾し、一緒にファミコンへの(任天堂バレーボールとなる)移植もし、そのの成功後にはアメリカ視察旅行も楽しく共に行きました。

私は橋下氏が嬉しそうに、
「立本さんにマンションを用意してもらったよ。本谷さんも、そうしてもらえば」
と聞いたときに、悪い予感がしました。
これは社内でも、問題視されていました。
そういうことに気づかないのが、立本氏、橋下氏でした。
ますます、この二人と社員の溝が深くなりました。

私自身も立本氏から、
「本谷さん、近くに越してきなよ。会社で寝なくてよくなるし。マンションを買ってもいいよ」
と、言われましたが、当然断りました。
そのお金は、誰のもの?ということです。
立本氏は、バレーボールゲーム開発に関しては、まったく無関係なんですから。

これは、私を部長して、
「おまえの権利やお金のことは忘れろ。あのお金を投資した六本木の店も半分はおまえのものにする。俺について来い。おまえはしゃべれるし外交的だから、これからはウチで宮本さんのように全体のマネジメントをしてくれ。もっと儲かるんだから。任天堂の財務状況は見せただろ。一人あたりの儲けはトヨタより上だぞ」

これを何度、聞かされたことか…。

立本氏には、ゲームなどどうでもよく、『ゲームも任天堂も、ただの金儲けの手段』と考えていた点では、”一貫して見事で爽やかな人”でした。
これは皮肉に聞こえるでしょうが、私は当時から、
『こういう人も会社には必要なんだろうなぁ』
と感心していました。

任天堂さんへの『取り入り方』も見事でした。
私は、懐柔のために”部長”にされたと思いますが、立本氏は、立本氏が対外的に何をしているか、何を考えているか、を私によく話してくれました。
「本谷さん。作るのは”あいつら”に任せて、オレとやっていこう」
と、立本氏には何度も言われました。

”あいつら”?

こういうのが日頃の態度に出るので、立本氏は嫌われていました。
それを私は何度も立本氏に注意して忠告もしました。
でも、彼には、それはどうでもよいことでした。

私は、そんなつもりでパックスソフトニカを助けたわけでもないし、いっしょに開発をしている仲間が好きだったので、

そもそも、パックスソフトニカの好景気は、私のバレーボールゲームが始まりで、私の協力があってのことです。
また、私は社員でもない。
そして、立本氏の部下でもないんです。

私の権利に見合う約束を果たしてくれれば、私は自分でマンションも買えたのだから、
「おまえにもマンションを…」
と、笑いながら言われたときは、
「何を、言ってるんだろう」
と腹が立ちました。

それにしても、嫌な予感がしたのは、あれほど、
「エレクトロニカ(立本氏)が、お金を全部取ってしまう!」
と、常々、私に不平を言っていた橋下氏が、
「立本さんは、良い人だ」」
と、マンションあたりから、言い始めたからです。

社交的でなく社内で孤立しがちだった橋下氏をかばい、橋下氏と仲良く接していたつもりの私を『小切手事件』酷く自分勝手に裏切ることができたのは、なぜか?
私は長年、不思議でした。

私は、バレーボールゲームの生みの親として宮本さんんと直接かかわりを持ち、社外の人間なのに部長となって任天堂さんとの窓口的な立場になっていた私への嫉妬だろうと感じていました。
でも、それだけではなかったわけです。

38年後の2025年に、この、2020年9月の『ファミ通のインタビュー記事』を読んで、欠けていたピースがやっとはまりました。

橋下氏は、あのとき、そんなにもお金にお困っていたので、お金のために私を裏切ったのだ、と

私は当時、橋下氏に、
「お金を勝手に使っている(背任や横領の可能性もあるんじゃ?と橋下氏と話していました立本氏を追い出して、我々現場の開発者のための会社にしようよ」
「開発部隊がいなければ、立本氏など何もできない」
と何度か橋下氏に言ったのですが、ダメでした。

パックスソフトニカが、親会社のパックスエレクトロニカにお金を絞り取られていたことは、
「任天堂バレーボールのお金がパックスソフトニカに入ってこない」
橋下氏から何度も何度も聞いていましたし、私の不安も募っていました。

立本氏からは、
「本谷が原作者でディレクターをしてくれたのは知ってるけど、本谷に渡す金が無いんだ。いろいろ他のことに使ってるから、ちょっと待ってくれ。六本木の店で、いくらでも遊んでいいから」
などと直に言われてましたが、肩書きは”部長”であって、実際は社員でも役員でもないので、パックスソフトニカの胃金の動きの詳細はわかりませんでした。
おそらく、役員だった橋下氏も、わからなかったようです。

ともかくですけど、
橋下氏が当時そこまでお金に困っていたことは、2025年に、このインタビュー記事や彼の本を読むまで、私は知りませんでした。

「そうだったのか…。それで橋下氏は、立本氏にお金やマンションを提供(私は拒否)されて、私を裏切ったのか…」
とわかりはしましたが、 本当に暗澹たる気持ちになりました。

私の人生をぶっ壊された理由が、これか…と。

お金欲しさ…。
名誉欲しさ…。
倒産危機のパックスソフトニカ(橋下氏)をバレーボールゲームで救った私を嵌めるとは‥。

ふぅ~…。
被害者だった人間が、敵であるはずの加害者側に加わり、同じことを別の人間にしてしまう、という構造。
よく世間で聞きますが、負の連鎖…。
悲しいことです。

Retasu's House れたすはうす
この後、橋下氏は、任天堂バレーボールの
創作者を詐称することになります。
今も詐称を続けています
もちろん、私は今後、対処するつもりです。

Retasu's House れたすはうす
なぜ、こんな事実でない『虚偽』を?

この虚偽表示をしてもらうために
「すごく苦労したんだよ」
というニュアンスの発言を
元の社員さんが橋下氏から聞いていたそうです。
そのあたりの解明もせねばと思っています。

この虚構表示は、任天堂さんの信用にも関わります

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2025年10月09日