【1986年のバレーボールゲーム】<概要>

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■ 1986年のバレーボールゲーム ■

主な具体的な解説(証明)ポイント
<3つの柱>
①私とパックソフトニカは、何年間も対等の協力関係があったこと。

⇒ H 氏が本やインタビューで、私のことや私が協力していた時期のパックスソフトニカのことを書いていない(書けない)不自然さ。

②私の『MSXバレーボール(アタックフォー)』が、任天堂バレーボールの直接の移植元作品であること。そして私が移植指導監修者であること。

⇒ H 氏の「ちょっと関係してた人がバレーボールゲームを持ってきた」のような言葉は嘘。

③任天堂バレーボールに関する私の権利と名誉が、私にあること。

⇒ 契約書を私に渡さず、「だから、本谷には権利がない」との詐術に引っかかったが、契約書がないなら、上記の①②から、逆に、パックスソフトニカは、不正移植をしたことになる。

Retasu's House れたすはうす
<具体的なポイント>
■本谷浩明が、フリーランス開発者として、4年間にわたり、パックスソフトニカと対等に連携(諸権利は本谷保持)してゲームを作っていた事実。
バレーボールゲームは、本谷浩明が『MSXバレーボール』で初めてゲーム化し、それをパックスソフトニカに販売委託したこと。
■ファミコン版への移植は、パックスソフトニカの倒産危機を救うために、本谷が許可しパックスソフトニカに開発を依頼したこと。(本谷が主)
■ファミコンへの移植は、パックスソフトニカの担当者H氏が、バレーボールについての知識も関心もなかったため、本谷が全面的に指導と説明をし、開発の指導監修をしたこと。
■その後、任天堂版となった後も、本谷が宮本氏と連携して、ディレクターであったこと。
■フリーランスである私の知らぬ事情で、パックスソフトニカの経営者が変わり、私に相談もなく任天さんと契約がされ、そこで得られたお金をパックスソフトニカ(エレクトロニカ?)が勝手に流用したこと
 ⇒ 法的問題は?
■任天堂さんと業務契約をするために、私に契約書もお金も渡さず、私をパックスソフトニカにとどめ、部長待遇としていたが、私が契約の問題を明確にするように求めると、私を騙し脅したこと。
【小切手事件】
■私はなぜ38年間沈黙していたのか? そして、なぜ話し始めたのか?
2025年以降のこと
■私の書いた『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を読んで、H氏が私に送ったきた不可解なメールのこと。
■私が去って以降のパックスソフトニカと、それを引き継いだ『ソフトニカ』のこと。(複数の情報提供あり)

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  ドキュメンタリー記録は、『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を参照ください。
この『1986年のバレーボールゲーム』は、このドキュメンタリーの解説、内容証明、追記です。
  <問題提起とその解明(証明)>
【権利問題】
よくある『誰に権利があるか?』という問題とはまったく異なり、『任天堂バレーボール』の場合は、私が明らかに創作者であり権利者です。
論争の余地はありません。

PSが、私の権利をすべて無視してきたことは、不正行為だということです。
そのことは、ここできちんと証明していきます。
【創作権利者・移植ディレクターである私の隠蔽】
『任天堂バレーボール』については、この40年間、私の作品であることが知られていませんでした 。

なぜ、そのような不可解なことになっていたのか?
なぜ、このことについて、2025年になって、やっと私自身が口を開いたのか?

それを説明解説していく目的で、この『1986年のバレーボールゲーム』を書いていきます。
そしてこれは、『今後の活動ための基本的な記録資料』にもなります。
 
  <時間軸での項目>
以下を個別に連載予定
・私は、少年時代に、バレーボールに熱中。ミュンヘンオリンピックで大興奮。
・私は、PC-6001を買い、独学でフリーランスのゲーム開発者になる。
・私は、作ったゲームをPSに持ち込み、販売委託をお願いする。
・バレーボールゲーム開発を目標にするようになる
1983年~88年まで、約5年間、完全フリーランスとして、 PS とともに活動
私は社員になったことは、まったくない。ずっと独立事業者。
1985年、MSXで世界初の本格的バレーボールゲームを一人で創作
・それまで通り、これも、PSで商品化し、販売委託。
※全てのゲームの権利は、私にある契約である
・倒産寸前のPSを救うため、バレーボールゲームのファミコン移植を、私が許可する。
(もし、PSが私に無断で移植したとしたら、それはパックスソフトニカの不正行為
バレーボールのゲーム化(構造化)は、私によるものであり、それを私がPSに教授した(総合ディレクター)
・ PSの移植担当者は、バレーボールというスポーツに興味がなく、バレーボールゲーム構造にも知識がなかったので、私が教えた
・移植開発中のファミコン移植版バレーボールゲームが、U氏の営業で、任天堂ブランド開発となった。
・そのため、私は宮本氏と共同ディレクターをし、PSへの指導監修を継続した。
ファミコン版オホーツクに消ゆ(デジタイズ)を担当する。<当時の写真あり>
親会社PEの関係者のT氏が、PSを支配するようになる。
T氏PSのお金を管理し初め、ここから物事が歪み始める。
・『任天堂バレーボ―ル』開発で、PS の倒産の危機を救った功績と任天堂さんと私の関係を考慮し、PSは私を社外フリーランスのまま、部長とした
・部長として、同僚の結婚式にも会社を代表して参加。<写真あり>
10 T氏は、PSあるいはPEに入ってきたお金を勝手に使った。直に私は聞いた。
 「ちょっと待ってくれ。そのお金がないと会社が回らないんだ」と。
・「あなたが使っているお金と権利は、もともと私のものですよ」と言っても、「まあ悪いようにしないから」と、無視された
11 ・ラスベガスのゲーム展示会視察旅行。<写真あり>
 ※『1987 Consumer Electronics Show 』
12 ・『任天堂アイスホッケー』(サブディレクター)に参加。
13 ・PS(PE)、つまりT氏が、『任天堂バレーボール』の契約を私に無断で任天堂さんと結んだらしいことに、私も遅ればせながら気づく。
・そして、その売上金を勝手に流用していたらしいことは、H氏も愚痴っていた。
(T氏…PEが勝手にお金を使っていた件は、その後H 氏も本かインタビューに書いている)
14 ・ PS は、原作者でディレクターである私にお金が払えず、フリーランスの私を社内に取り込み、うやむやにしようとするが、私の拒否にあい、私に権利関係の契約書を渡さず、騙すことにした。。
15 【小切手事件(概要)
T氏は、
「おまえとの契約書などない!
と開き直り、
H氏は、
「任天堂バレーボールゲームは、私が一人で作った」
と言いだす。

そして、私の目の前に、T氏によって、小切手帳が投げ捨てられた…。
(※詳細は、連載で)
16 T氏は、創作者・ディレクターとしての私の権利と名誉を奪い、この件での口外をせぬよう、私を脅した。
17 ・私は任天堂さんに訴えたかったが、脅されていたことと、私が騒ぐと、『ファミコン版バレーボール』そのものがつぶれることを恐れ、沈黙する。
18 ・PSを離れ、再出発する。
・PSの仲間達が集った結婚式が、最後の良い思い出。 <写真あり>
  Retasu's House れたすはうす
【開発者人生の黒いトラウマ】
『小切手事件』による裏切りで、私は人生に絶望し、悔しく、一時は毎日吐いてました。
ゲーム界にも失望した。
そのため、PS時代のゲーム資料もゲーム製品も、それが目に入ると気持ちが悪くなるので、全て捨てました。

それらをやっとじっくり見ることができたのは、38年後の今年(2025年)なのです。

『ファミコン版オホーツクに消ゆ』も、38年前にデジタイズしてから何の情報も得ることがなく、今年(2025)初めて製品版の絵を見ました。
『オホーツクに消ゆ』が有名なゲームになっていることも、やっと知りました。
それで、ちょっと浮かれて、Xに勘違い投稿をして、炎上も経験しましたが、その遠因もPSによる裏切りのトラウマだとも言えます。

私は、この40年近くの間、自分が作った『MSXアタックフォー』も『任天堂バレーボール』も、製品を持っていないし、遊んだこともないのです。

それは、『小切手事件』を思い出して、気持ちが悪くなるから でした。
ネットまどで、ゲーム情報を見ることも、最近までほとんどありませんでした。

妻もPS社員で不当解雇されましたから、我が家では、バレーボールとゲームの話題は禁句でした。
私が『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を書き、イベントで本当の話することができるようになった2025年に、やっとその呪縛が解けてきました。
19 ・その後、約40年間、PSは不都合な私の存在を隠し続ける。
・後ろめたいのだろうと思うし、つじつまが合わなくなるので触れられない。。

・Wikipadiaなどにも記載なし。
(※2025年、私自身が記載追加)
21 ・移植担当のH 氏の『ファミ通インタビュー』、同人誌『任天堂バレーボ―ルを作った男』では、【原作権利者、移植許可指導者、ディレクターの私】が、ほとんど無視されていることを知り、あまりのことに呆れる。

・また、私のことだけでなく、私とPSが協力関係にあった時期のPSことを、H氏が、インタビューでも本でも、ほとんど語っていないことを知るのは、
PSであった不正を語れないからである
22 ・私がもっとも衝撃を受けたのは、
『任天堂バレーボ―ル』のTOP画面に、移植担当のH氏の名前だけがある』
であった。

まったく異様である。
「なんだ、これ!!」

・PSは任天堂さんに、どういう説明をしているのか?

この事実で私は闘うことを決めた。
私にとって、これの解明が生涯の活動目的となる
23 ・移植担当者のH氏が、私の本『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を読み、私にメールを送ってきて、
「すみませんでした。今後は本谷さんのことを、ちゃんと話します」
と書いていた。

そして、唐突に、
「権利のことや、お金のことは、私は何も知りません」
とも、わざわざ書いてあった。

それを自ら書くということは、『その部分の不正を彼らも認識(意識)している』のだろう。

・パックスソフトニカの役員であり、その後、『ソフトニカ』年て後継していながら『知らない』など信じがたいが、そうだとすれば「不正行為は、すべてT氏によるもの」ということなのだろうか?

・このあたり、私、真実を知りたい。
私が去った後のPSについて、元社員の人たち、PS解散後の仕事のことを直に知っている人たちからの、情報提供などがきている。
私はそれらも参考しているが、自分が直に見聞したこと以外は、ここでは触れない
今後、上記の内容を、<一覧Index>のページで、図、写真などをまじえて、個別に説明していきますので、よろしくお願いします。

また、このサイトでの記載内容については、よりわかりやすい内容にするため、予告なくその都度修正や文章表現の推敲をします。
これは『記録』だからです。

この記録をもとに、今後【名誉回復の活動】をします。
note このWEBサイトで記述がまとまり、推敲も一通りできたものは、note に投稿します。
もちろん、無料公開です。

販売終了となりました『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』の note への無料公開(一部内容を追加削除する場合あり)については、同人誌を購入された方への感謝と情報優位性を守るため、全面公開はもう少し先にいたします。ご了承ください。

 
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