【絵馬023】娘が行儀良くなるように躾け…
<今日のお題> |
娘が行儀良くなるように躾けたい。 |
その絵馬に書かれた願い事の、本当の意味とは? |

【スノーウィー神主のつぶやき】
ふ~む…。なにか…こう…いや~な願文です。
『躾(しつけ)』という言葉の気持ち悪さ…。
子供思いなの?
親の身勝手だろ?
行儀といえば、私の家系はアラスカにおいて由緒ある『スノーウィー一族』の嫡流です。
日本流にわかりやすく言うと、『本家筋』です。
(※逆にわかりにくいですかね…。旧民法じゃあるまいし)
別段、嫡流とか本家筋とかを自慢したいわけではありません。
私の精神科医としての経験からすると、そういう『家系誇り』みたいな、出自を自慢し、精神の拠り所とするような方は、自分に自信がなく精神が不安定な場合が多いです。
(※スノーウイー医師の個人的意見)
自分に自信があれば、血筋のような曖昧なものをバックボーンとして意識する必要はありませんからね。
自分の足(個人的な能力や魅力)だけで立っていられない人が、家系や血筋などの松葉杖をついて歩いています。
厄介なことに、松葉杖は凶器にもなるのです。注意注意!
あ、なぜ、私が私の家系のことを持ち出したかというと、そういう名門中も名門家系でしたもので、子供のころからひじょーに厳しく躾けられて育った、ということを言いたかったのです。
簡単に言えば、貴族的な躾だったのですが、我々兄弟にはそれが合わず、次男のプリティなどは、そういう反動的教育の反動?で、世界的犯罪者になってしまいました。
(※スノーウイー医師の個人的見解)
何が言いたいかと申しますと、
『人間は育てたいようには育たない』
という当たり前のことです。
同時に、
『親を見て、親の行為を真似て、その行為の良し悪しと関係なく親と同じように育つ(半分は親を反面教師にして、別の方向に育つ)』
ということが言えましょう。
これらは、精神分析というか心理学的研究でも、ある程度経験的にも確認されていることです。
『躾(しつけ)』というものは善意や親心であっても、自分の行為を基礎にされれば多少効果があるものですが、自分を棚に上げて子供を調教するようなことをしても無意味です。
いや逆に、害でしょう。
親は、自分がクソまじめな場合に、子供に、
「クソまじめに生きろ」
「俺のような面白くない人生を真似るな」
と言ったり、
親が自由奔放で無茶苦茶な生き方をしていて、その子供に、
「オレのようになれ」
「オレのようになるな」
と言ったりします。
知るかよ!
子供は勝手に生きていきます。
ただ、親の背中だけでなく、正面の顔も毎日見て、何かを学んでいます。
親が言ったことは聞いていません。やってることを覚えています。
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