つぶやき<004-2>天命 2
天命 2
中国的な【天命】とは、似て非なるものだけど、西洋ではキリスト教の神(あるいはその代理である教会)が、王権を保障するような仕組みがあった。 『王権神授説』の成立の前後で、大雑把に言えば『王権の保障を教会が神の代理として行う』か『神が直に行う』という違いあるが、ここではその違いはどうでもいい。 ついでに、どうでもいいことだが、『王権神授説』以前は、教会が王権を保障するくらいだから、王の婚姻も制御する。 イギリス(イングランド)国教会なんて、イングランド王が自由に婚姻をしたいがためにできたようなものだろう。 (…言い過ぎ? そうでもなさそうだが) さて…。 今の時代に【天命】などあるのだろうか? 「私は天命で総理大臣を拝命しました」 などと首相が言ったら、みんな、 「おいおい…何言っちゃってるの?」 って思うだろう。 どういう妙な人間性の首相であっても、いちおう『民意』ということになるのだし。 「この仕事が天職だと思っています」 と言う人はいるが、まさか『天命による職業指示』という意味ではなかろう。 そもそも天命だろうが何だろうが、 『自分以外の何かに指示されたくない。決められたくない』 という気分(自意識)が近代以降の人間の多くに芽生えており、やっかいなことに、現代人ならもう誰にでも、それがある。 じつのところ、現代人より前の人たちは、だいたいおとなしく運命(天命)を受け入れていたようではある。 となれば、ある意味での自意識欠如である。 いや正しくは、今のような『自意識という概念』がなかった。あるいは希薄だった。 そのあたりの『個の成立』みたいな哲学・思想史と、天命思想は深い関係がある、と私は思うが、ここでそれを書く知識も根気もない。 (つづく) |
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