つぶやき<005-05>ローマは一日にしてならず 5
ローマは一日にしてならず 5
ここで勘違いをする人がわりと多い。 これまで生きてきて、似たような話をしたことが何度かあったが、 「わからないといっても、全然わからなかったらどうしようもないでしょう。なにか【とっかかり】があるのでしょう」 と、思う人がいる。 それは、間違っている。 とっかかりなど、ないものはないのだ。 ともかく、主観的には、とっかかりなど全くないのだ。 だから、 「【(ゲームの作り方についての)とっかかり】がまったくない」 と私が言うとき、ほんとうに『ない』ということなんである。 とはいえ、「何か【とっかかり】のようなものがあるかもしれない」 と言えなくもないのは 『何かの必要かもしれない情報が文章に書いてあり』、 『自分は文章の読み書きが、ある程度できる』、 という程度の【とっかかり】はあるからだ。 『文章が読める』ことを、【とっかかり】と、言うのなら…だが。 でも、そういうものが、最初は【とっかかり】なのだ。 きっと。 日本語がわかれば、辞典さえあれば単純な外国語は半分は理解できる。 そこから勉強を始めれば難解な外国語の本も読め、なにか(社会の仕組みや物理的な機械など)を作ったりできる。 たとえば、幕末から明治初期の頃の『文献知識人』がそうだろう。 (もちろん背後にある【考えかた】【概念】というものが社会や個人の中に蓄積されている必要がある、とかいうややこしい議論にもなるから、そこは割愛) 要するに、『文章の読み書きが普通にできる』という【とっかかり】は、【とっかかり】ではあるけれど、日本人なら誰にでも該当する能力なので、やはりそれは『個別で具体的な【とっかかり】ではない』ということだ。 (つづく) |
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