つぶやき<005-01>ローマは一日にしてならず 1


ローマは一日にしてならず 1

私はもともとの性格は、短気で癇癪(かんしゃく)持ちだと思う。
実際に、そうだったし、いまも根っこはそうだし…。

ただ長く生きると、多少とも忍耐する方法を学ぶから、人にはそうでもなく見えるようになるらしい。

誰でもそうだろうが、短気な私でも好きなことなら、かなり粘り強く継続できたりする。
が、私は飽きも早い。

私の集中は半年が限界で、もちろん何についてかによってマチマチなのだが、基本的には半年でそれまで集中したことは、全くやりたくなくなってしまう。
ほぼ興味が無くなる。

ただ、自分で言うのもなんだが、私の半年間の集中力は恐ろしく強いので、興味や関心が無くなっても、その集中時に得た知識や経験や、その期間に実際に作ったもの(作品だったり、プログラムだったり、資料だったり)は残っているので、その【遺産】を使って、そのあとも【疑似集中】ができたりする。

集中が切れたあと、しばらく「ぼぅ~」としていると、何かまた熱中するものが出てくる。
私は、そういう繰り返しの人生な気がする。

さて半年間という短期間であっても、あたりまえのことだが、いつでも何にでも私が必ず集中できるわけではない。
私は気分屋なので、実際はほとんど、集中などできないことのほうが多い。

そんな私が何かに熱中し集中できるようになるのは、
【最初の2週間の忍耐と我慢と努力】
があるからなんである。

とはいえ、【忍耐と我慢と努力】…、これらは、私のDNAに基本的に欠けているとしか思えない要素なのである。
私は【忍耐と我慢と努力】が嫌いなのではなく、そういう素質がなく、そういうことがもともとできない人間なんである。
(それを、かなりの期間、生きてきた上での結論としている)

もちろん、何かの言い訳として言っているのではなく、
「オレって、忍耐と我慢と努力だめ人間じゃん!」
という、自戒である。

(つづく)

 

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2019年03月01日